うすば蛉蜻日記

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6月17日(木) 別れた理由

昨日は、首もよく痛めるというところで終った。痛めるというのは、筋を痛めるという事だが、その痛め方もハンパではない。よく交通事故でむち打ち症になった人が首にコルセットをしているが、あれを私は持っている。4年ほど前に首の筋を痛めた時、病院で付けるように言われたのだ。それ以前から年に3、4回くらいは首筋を痛めていたのだが、1週間くらいすると治るので病院へ行ったことはなかった。
4年前のそれは我慢できない痛みだったので初めて病院へ行ったのだが、その時にレントゲンを撮られた。そして重大な?事実が判った。私の首の骨はまっすぐに付いていたのだ。へっ?まっすぐってどういう事?と思うかも知れない。私も最初医者から言われた時には「それが何か特別なことなのか?」と思ったのだ。
医者の説明によると、人の首の骨や背骨というのは少し湾曲しているのが普通なのだと言う。そう言われてみれば理科室やテレビで見るガイコツというのは、骨がゆるくカーブしている。しかし中には私のようなまっすぐな人もいるそうだが、そういう人は首筋を痛めやすいのだそうだ。つまり、骨が真っ直ぐについているので周りの筋が妙な具合に引っ張られやすいため、ちょっとしたことで痛めることになるのだと言う。ひどくなると、むち打ち症と同じような症状になると言うことで、その時の私はまさしく『無事故むち打ち症』?だったのだ。

それは4年前の正月だった。暮れから正月にかけては毎年夫の実家で過ごすのが決まりになっていたのだが、その前年に夫の実家のすぐ近くへ引っ越していたので、これからは元日くらいは自分の家で迎えたいと夫に強く主張して年が明けてから夫の実家へ挨拶に行った。義父母たちはこれまで通り泊まりにくるものと考えていたようだったが、歩いても行かれる距離に住んでいるのに(しかもそれまでの賃貸生活ではなく、狭いながらも我が家なのだから)何で自宅で正月を迎えてはいけないのか、と思ったのだ。行ったら最後泊まらずに帰ることなど出来ないのだから。
義母とおせち料理やお屠蘇の用意をしている時に、何気なく伸びをしようとしたとたん、ピキッと首に激痛が走った。その後は頭を上げているのも辛く、吐き気はしてくるわで元旦の挨拶が終ると早々に二階の夫が独身時代に使っていた部屋へ(実家へ泊まりにいくとそこが私たちの寝室になった)引き上げて、寝ていた。
夫の家族というのは、私が具合が悪くてもまったく無関心な人たちだったので、遠慮していると休んでもいられないのでさっさと寝てしまったのだ。夜になっても痛みは収まるどころか益々ひどくなる一方だった。それで普通なら三が日は実家にいるのだが、夫にどうしても帰りたいからと言って、翌日には自宅へ帰ってしまった。やはり夫の実家では寝てばかりもいられない。ぎっくり腰と同じで、からだが言うことをきかないので寝ると起き上がるのも夫の手を借りないことには思うように動けない。
それほど私がうんうん言って苦しんでいるにも関わらず、夫は「今晩従兄弟が実家に遊びに来るからちょっと行ってくる」と言って、子供たちも連れてまた実家へ戻ってしまったのだ。夜には戻ると言い残して。私は動けないので、ただ寝ていた。いくら久しぶりに会う従兄弟だとは言っても、私が動けないほど具合が悪いのだから、夜には帰ってきてくれると思って、食事もしないで(できなくて)待っていた。が、夫は帰ってこなかった。
私の具合が悪くても、心配ひとつしないのは義父母だけではなかったのだ。その頃には夫とは必要最小限しか口をきかないようになっていたし、暮れからちょっとした事で気まずくなっていたのだが、それにしても冷たいと思った。正月休みで病院もやっていなかったので、5日間ほど体と心の痛みに耐えていたのだ。なんちゃって。 その辺りから、坂道を転がるように夫との仲は悪くなる一方で、結局、翌年の正月に離婚の話し合いに決着がついたというワケである。

今も腰から段々痛みが上に上がってきている。うっ…コワイ。
それから、私の体にはもうひとつヒミツがある。知りたい?じゃ、それはまた明日…引っ張るな〜


6月16日(水) 危険な兆候

先週土曜日にやった資源回収以来、体の節々が痛んでいたが、その痛みが薄れ始めてきた今頃になって、とうとうぎっくり腰の兆候が現れてきた。ぎっくり腰はこれまでに4回くらいやっている。最初はジロを産んで間もない頃だった。夫の実家に行って泊まり、朝ベットから起きようとしたとたん、動けなくなった。元々腰は悪い方だったのだが、二度のお産でニ度共びてい骨の辺りを捻挫して、それ以来、夜中に腰の痛みで目が覚めることがしばしばあったのだ。
お産で捻挫?と思われるだろうが、たまにそうした事もあるらしい。私もタロを産んだ時には、それが捻挫だとは 思ってもいなかった。お産のさなかに突然それまでの痛みとは違った、一瞬全身の力が抜けて行くような痛みをお尻から腰の辺りにかけて感じたのだが、いきんでいる最中だったので医者や助産婦に力抜かないで!と叱られて再びいきみ始めたのだが、その痛いのなんのって、あーた。
初めてのお産だったので、その痛みがどこから出てくるのか、お産の後には誰にでもあることなのか、自分だけ が弱虫で痛がっているのかも判らず同室の人たちがやたらと早く回復するのを指をくわえて見ていた。お尻の痛みのせいで熱が出てしまい、その病院は産後1日くらいで母子同室が基本なのだが私はあまり具合が悪そうに見えたのか2日か3日後になってようやく我が子を抱くことができた。トイレに行くにもまっすぐ立っていられないので前かがみになって、そろそろと歩くことしかできなかった。
回診に来た医者に、お尻の辺りが痛いと言うと、切開した傷が痛むのかと思ったらしく、早めに抜糸するから、そうすれば楽になるから、と言われた。そうじゃないんだけど、と内心思ってもその痛みがどこから来る痛みなのか自分でもよく判らないので説明のしようがなかったのだ。後で妊婦向けの雑誌を読んで、お産で捻挫をすることがまれにあると書いてあり、これだ!と思ったのだ。だから、ジロを産む時も一番恐れていたのが、お尻の捻挫だった。タロの時は気がつくのが遅くて1年くらい正座もできなかったので、また同じことになったらイヤだな、と思っていたら安産だったにも関わらずやはり捻挫した。
だがその時は事前に医者に相談していたので、手当ての方法も聞いており、前ほどひどくならずにすんだのだが、それからとうとう腰の調子は元に戻らなくなってしまった。私は坐骨神経痛も10代から持病になっているので、腰及びお尻回りの神経関係がどうも弱いようである。

ぎっくり腰というのは、名前だけ聞くと思わず笑いたくなるが(正式な病名ではない)これが、あなどれない痛みなのだ。重いものを持つときは気をつけましょう、などと言うけれど、私の経験からいって重いものを持つ時などは用心するので意外と大丈夫なのだ。それよりも普段ならどうってこともない、ごく普通の動作をした時に突如として激痛が走り動けなくなる。それがぎっくり腰なのだ。ベットから起きた時も、普段ならふっと自然に腹筋を使って起き上がる事ができるのに、その「ふっ」をしたとたん息がつまるような痛みで「んがぁ〜!」と言ったきりにっちもさっちもいかなくなったのだ。
2年前にギクっとなった時は母と電話で喋っている時だった。椅子に座って足を組んでいたのだが、その態勢でちょっとからだを左に捻ろうとしたとたん「むぐぐっ・・・」母に心配をかけまいと思って痛みに堪えて電話を終えたが、あの時も地区の廃品回収が終わってしばらく経った頃だった。(責任者でてこい!)
ぎっくり腰になると、急にからだが重くなったように感じる。特に下半身は自分のものではなくなったようだ。座ったり立ったりが素早くできない。寝たら最後、からだの向きを変えるのにもウンウン言いながら一苦労するのだ。
起き上がる時などは、まず左手で自分の右肩を掴んでよっこらしょ、とからだを縦にする。左手でどこかを掴んでふんばりつつ右手で腰を押して右足をどっこらしょ、と左側へ放り出す。それから両腕に力を入れ腰をそろそろと動かして(少し動くたびに激痛が走るので、信じられないほど緩慢な動きである)なるべく痛くない態勢を作ってから腕を突っ張ってひざを立てて壁などにつかまりながら立ちあがるのだ。この間10分はかかる。
私の場合はまだヘルニアまではいっていないようなのだが、別の病気(似たようなものだが)が考えられると医者からは言われた。そんなことはともかく、動けないのが辛い。かと言ってじっとしていると痛くないかと言うと、これも痛いのだ。同じ姿勢で長くいることができなくなるのだ。それでもなってしまったら安静にしているより仕方がない。病院へはあまり行かない(時間&お金がない&面倒)ので、自分で何とかするしかない。以前病院へ通った時は、飛び飛びではあったが結局3ヶ月以上は通っただろう。その間2回病院を(接骨院を含めて)変わっている。治療をすれば完治するという部類ではない(と思う)ので、段々面倒になってくるのだ。
離婚してから数日間も寝込んだと言うのは3回ほどあるのだが、最近私が具合悪くなると
「お母さん、寝ていていいよ。仕事休めば?」などとタロとジロは優しい言葉をかけてくれる。
子供たちにとっては私が寝込むイコール飯の支度ができない、よって自分たちの生存問題にも関わるというので、そっちの心配をしているだけなのだが。しかも言葉だけで何をしてくれるわけではない。

私はコルセットなどの腰を固定する器具を3つほど持っていて、痛みの程度によって使い分けている。この腰の痛みに関係するのだと思うが、私は首もよく痛める。
何を隠そう私が離婚したのはその前年の正月に首を痛めた事が重大なきっかけとなっていたのだ。この話の続きはまた明日…


6月15日(火) なくて七くせ

くせというのは本人には意外と気がつかないものだが、大抵の人はひとつやふたつの癖を持っているのではないだろうか。子供の頃の私は鉛筆の後ろを噛む癖があった。爪もよく噛んでいた。今は心理学などが盛んだから、それに当てはめると私は欲求不満な子供だったと言うことになる。実はジロも子供の頃の私にそっくりで鉛筆の後ろを噛んでいる。それに手の爪はもとより足の爪まで噛んでしまう。
これは、ほんとうの話だが私はジロが生まれてこの方、ジロの爪を切った記憶がない。噛んだ爪はジロのお腹の中に納まるわけで、こいつはカルシウム不足など縁がないぞ、と思う。(ホントか?)しかし足の爪まで食べているから虫が出るのではないかと密かに疑っている。
私の兄と姉は子供の頃、鼻くそをほじくって、それをぺろりとやっていた。いや、どうも今でもやっているらしい。爪を噛むのも汚いと言われてしまえばそれまでだが、私は鼻くそまでは口に入れることなど出来ない。
鼻と言えば別れた夫の母親(つまり義母だった人)は話をしながら鼻を人差し指で上にあげる癖があった。面と向かって話をしている時にそれをやられると、なんとも言えない妙な気分であった。たぶん本人は意識していないのだろうが、真面目な話をしていてもそれだから、私は義母のブタっ鼻が気になって仕方がない。つい、じっと見つめてしまう。なんとも不思議な癖があったものだと思いながらいつも見ていた。
ところが、最近になって人と話をしている時に、ふと自分の手が鼻に行っているのに気がついた。しかも義母のように指で鼻を押している。私の鼻の穴は相手にまる見えになっていると言うことか。こんな癖を貰ってしまうなんて、なんてこったい!


6月14日(月) 鬼の末裔

歯の衛生週間にちなんで歯の話をしようと思っていて忘れていた。
歯医者さんへ行くと「80・20運動」というポスターが貼ってある。80歳になっても20本の歯を残しましょう、と言う主旨のポスターである。私は今、ざっと数えて25本しか歯がない。子供の頃に歯のレントゲンを撮ったところ普通の人より4本だか6本歯が少ないと母は歯科医から言われたそうだ。
その代わりといっては何だが私には牙のような八重歯が2本生えていた。笑うと歯茎に八重歯がひっつき、すごい形相になる。それがイヤで10代の終りに一念発起して歯医者へ行った。八重歯を抜いてくださいと言うと、医者は長い間八重歯で唇が引っ張られて伸びているから2本も抜いたらバアさんのようなしわくちゃな口元になる、と言って私を脅して結局1本しか抜いてくれなかった。
健康な歯を抜くのが、これほど大変なことだとは思わなかった。麻酔を打ってしばらくすると、医者がペンチのようなものを持って近づいてきたので、ぎょっとした私は
「セ、センセイ。まさかそれで抜くんじゃ…」と言うと
「そうだよ。これを使って抜くんだよ。力仕事なんだから」と、少々不機嫌な答えが返ってきた。
はい、口を開けて、と言われるともう観念するしかない。仕方なくあんぐりと大口を開けて目をしっかりと閉じた。医者が私の上に覆い被さるようにして、八重歯をペンチで挟んで力を入れたとたん、
バキバキバキ!とものすごい音が診察室に響いた。あぐげぇ〜。(助けてくれ、と言ったつもり)首ががくがくする。音だけはあごの骨まで砕けたかと思うほどなのに、八重歯はびくともしない様子。
「ふぅ〜。抜けねえなあ」医者はぶつぶつ文句を言ってまた私の八重歯をペンチで挟んだ。やや老年に差し掛かっているものの、体格のいい男の医者が渾身の力を込めて抜こうとしているにも拘らず、八重歯は動かざること岩の如し。何度も頭までぐらぐらさせ、悲鳴にもならない悲鳴を上げた挙句にやっと八重歯は抜けたのだった。
「ほら、こんな長いのが生えていたんだよ」と医者に見せられた八重歯はまさしく牙であった。長さ3センチは優にあった。八重歯が抜けた穴はかなり大きく、完全に塞がるまでに数年かかったのだ。穴に詰まったご飯粒を楊枝でつついて出すのが、長い間私の日課になってしまった。
それから数年後、私はもう1本の八重歯も別の歯医者で抜いた。前に掛かった医者には2本も抜いてはバアさんのような顔になると言われたが、そんなことはなかった。考えるに前の医者は八重歯を抜く時の労力が並大抵のことではない事を知っていたので、2本も抜かなければならないなんて、願い下げだと思ったのではないだろうか。お年だったからねぇ。

ところで抜いた八重歯を2本とも貰い、とってあるのだが、ある時ジロにお母さんはね、本当は昔はオニだったのよ、と言ってその歯を見せたところ、さっと顔色が変わって私を見る目が怯えていた。少し前まで私がかつてはオニ族だったとジロは心底信じていたようである。いや、もしかしたら今でも信じているかも知れない。


6月13日(日) 本日晴天異常なし

昨夜、寝る時になってもまだ腕の筋肉がぶるぶる震えて気持ちが悪かった。今日も時々震える。昨日の資源回収で新聞紙の束やダンボール箱、空き瓶などを運び続けた疲れがまだ残っているようだ。一度も、運動らしい運動をしないでこの年まできてしまったので、筋肉などとはまったく無縁なのだ。
今朝はわりと早く起きた。気になっていた洗濯を始める。布団も干した。掃除機もかけた。さて、あとはのんびり好きなことができる。といっても、何がやりたいという事もなく、なんとなくパソコンの前に座る。もう、ほとんどビョーキである。
久しぶりに図書のコーナーを更新した。使いたかった素材を思う存分に使ってしまった。まったくイメージが変わったけれど結構気に入っている。中身はあまり増えていないのが、たまに傷だけど。
昼食は、スパゲティにした。姉夫婦のやっているスパゲティ店直伝のやつだ。材料は、きのこ(しめじ、えのき、しいたけなど)とピーマンとソーセージがあればできる。パスタを茹でながらきのこなどを炒める。茹で上がったパスタをフライパンに入れて、具と混ぜ合わせる。そこに麺つゆをかけてでき上がり。本当はもう少し味付けなどは工夫してあるのだろうが、家庭で作る時はこんなもので充分美味しくできる。
夕食も久しぶりで時間をかけて作った。フライパンに油を入れて乾燥にんにくを炒める。香りがでてきたところへ豚バラのブロック肉を適当に切ったものと人参、玉ねぎ、なすを加えて炒める。なべに水とコンソメの元を入れて火にかけておく。沸騰してきたら炒めた肉と野菜をいれる。月桂樹の葉と大豆の水煮を入れて煮込む。野菜などに火が通った頃にトマトの水煮を入れて、更に途中でじゃが芋とマカロニを加える。じゃが芋は終りの頃に入れないと煮崩れてしまうからだ。最後に塩、コショウで味を整えてでき上がり。にんにくの香りが食欲をそそる我が家の定番料理である。

夜、子供たちとテレビを見ていた。「特命リサーチ2000X]という番組で円形脱毛症がどうして起こるのか、というのをやっていた。 テレビでは、目に見えない不安、それも本人にさえ気がつかない喜びのあとの不安?が円形脱毛症を引き起こすと言っていた。たとえば、結婚した直後や引越しをした後などだ。しかし、それだけではないと思う。
私は結婚していた時に円形脱毛症になったことがある。その時はタロがしょっちゅう喘息の発作を起こして入院していたし、そのたびに夫の実家にジロを預けなくてはならない事がイヤでたまらなかった。だからタロが少しでも具合が悪くなると、また入院するのではないかとびくびくしていたのだ。
私の髪が抜けているのを見つけたのは夫だった。夫に背を向けて台所に立っていた私に夫は
「おい、頭の後ろ、ハゲているぞ」と、声をかけた。
それだけだった。別に医者へ行けとも何とも言われなかった。それでそのまま放っていたら、いつの間にか直っていた。
ところで、テレビでは円形脱毛症について大学の助教授だかが出て、説明をしていたのだがその人を見るなりタロが言った。
「あ〜ら、この先生かなり円形脱毛症が進んじゃっているね」
そう、その先生はかなり髪の不自由な人(ありていに言ってハゲ)だったのだ。バーコードヘアーにしているのだが、額が異常に広くなっている。あの先生はどうして髪についての研究をしているのだろうか。やはり自分の髪の量を守るためなのか、それとも研究熱心にしている内に疲労でそうなってしまったのか・・・まだ、若そうな人だった。
番組では、その先生の解説にかぶせるようにハゲ、ハゲと連発していた…


6月12日(土) 疲労困憊…

昨夜は早く寝るつもりが、田中康夫の『神戸震災日記』を読み始めたらとまらなくなり、途中でネットをしたりしていて結局寝たのは2時を廻ってしまった。翌日に資源回収を控えているのだから、予定では10時台には布団に入るつもりだった。最近、7時より前に起きたことなどない私は、寝坊をしないかどうかが一番の心配事だった。とにかく根が心配性なので、気になって仕方がない。それで普段は飲まない寝酒をしたりしたのだが、まったく酔いが廻ってこない。本を読み始めたのもマズかった。結局、最後まで読みきってしまった。ワインはつい最近、会社の同僚から甲府の白ワインを貰って以来、飲めるようになった。ジュースのような甘口だから飲めるのだ。
今朝は7時に目覚ましをセットしておいたのだが、明け方から何度も目が覚めてしまう。そして結局起き出したのは7時半だった。役員は8時集合のため、朝食を食べる暇もなく自転車で自治会館へ向かう。私の住んでいる地区は範囲が広いためトラック3台、そしてリヤカー3台で回収に廻る。今時リヤカーを持っている家が何軒もあるというのが驚きだが、狭い路地などを廻るには、リヤカーは最適なのだ。
この地区に越してきて間もない頃に資源回収に出ると、「そこの若い人、トラックの荷台に乗って行って」と言われて、一度も交代する事なく回収に廻り、その時の疲れが元で後日ぎっくり腰になった苦い経験があった。数ヶ月近くの病院へマッサージに通ったのだ。この時ほど若く見られて損をしたと思ったことはない。腰痛(ぎっくり腰)は私の持病なのだ。
今年は地区長なので、集合場所の自治会館前に留まりあれこれと指図をするだけでいいから楽なものだと引継ぎの時に聞いていたのだが、とんでもなかった。6台のトラックやリヤカーがひっきりなしに回収を終えて帰ってくるので、その荷下ろしを率先してやらなければならない。回収は一度では終らないので一旦荷を下ろすとまた回収へ廻る。それが一時間半ほど続いた。
回収が済むと参加してくれた人たちにお礼のジュースを出す。が、私はまだ休めない。回収した新聞紙などを引き取りに業者のトラックが来ているので、そこに回収したものを放りこんで行く作業が残っているのだ。最後にリヤカーを返しに行き、残った役員3人とお疲れさま〜と解散したのは正午に近い時間だった。
トラックの運転をしてくれた男性には、商店のダンボールをトラック一台分処分したお礼にと頂いた1000円と、ちょっぴり自腹を切って買ったビールを用意したのだが、私も飲むつもりでいたら、いつの間にかなくなっていた。おいおい…私がジュースにありつけたのは殆どの人が帰って行った後だった。
帰宅してから、急にからだ中が痛いのに気がついた。足は棒のようだし、腕も痛い。それまでの緊張が解けたのだろう。昼食は作る気力がなくてローソンで買ってきて子供たちに食べさせる。私は朝から初めての食事だが疲れて食欲もなくなり「かにパン」を少し食べると、本を持って自分の部屋へ行き、本を読んでいるうちに眠くなり昼寝をした。起きると5時近かった。
これがあと2回あるのだと思うとぞっとする。腰が重くなってきているので、またぎっくり腰になりそうである。役員というのはまったく無料奉仕のボランティアだと割りきらないとやっていられない。やれやれ・・・

話はまったく変わる。夕方NHKを見ていると天気予報の後に番組のお知らせが始まった。他のことをしながら音声だけを聞いていたのだが、アナウンサーが真面目くさった声で
「よしおくんゴルフ大会が××で開催され…」と言うので、ん?よしおクンのゴルフ大会ってナンダロ〜と思って画面を見ると、女子オープンゴルフ大会だった。子供たちも「よしおクンって聞こえた〜」と言っていましたぞ、NHKさん。


6月11日(金) そして神戸

スキャナが、またイッてしまった。メーカーに送り返して調べてもらうことにした。それで解決するとは到底思えないが、もう何をしても無駄なような気がする。昨夜のうちに何かスキャンしておけば良かった。メーカーのカタログとかPTAの回覧なんて言う手元にあったのを適当に使わないで。もう後の祭りだ。仕方がない。
私のHPに、東京の天気予報を載せることにした。明日、資源回収があるので天気を調べに行ったHPで、無料の天気予報をHPに載せられると言うのでさっそく試すことにしたのだ。私のHPには自分でも忘れていたが旅のコーナーがあったので丁度いい。何か新しい事をたまにはしないと、日記だけじゃ、そうは続かない。
東京の天気にしたのは別に意味はないのだが、埼玉よりは役に立つかと思ったまでのこと。私が埼玉在住なので、一番近い都会である東京にしたのだ。埼玉は東京の隣だから大して違いはないだろう。でも私の住んでいるところは、秩父地方に近いけど。
今日は、スキャナのことで頭に来ていたので本をどっさり(でもないけど)買ってきた。振興券さまさま。大好きな宮本輝の『生きものたちの部屋』というエッセイと変なおぼっちゃま君だと思っていたら、意外と(失礼)硬派だった田中康夫の『神戸震災日記』。この人は震災発生から四日後には神戸に駆けつけて、ボランティア活動をしてきた。それを知った時にも尊敬の念を感じたけれど、離婚前後だったと思うが新聞か雑誌のインタビューで「矜持と諦観」について語っているのを読んでから、人間的に好きになった。それに私のエッセイもどきの中のある懸賞作文の審査員でもあったし。(あまり関係ないか…)
それから『日本仏教史』東大教授の末木文美士という人が「思想史としてのアプローチ(副題)」という位置付けで書いている。一応、先祖代々の仏教徒ではあるが、詳しいことは何も知らないので、この辺から入ってみたら判るかも知れないと思って買った。親鸞の『嘆異抄』のようなものは、そこまでの流れが判らないとなかなか読み進められない。これは、ゆっくり読もうと思う。
そして毎月は買えないけれど、楽しみな雑誌の『オール読物』私の好きな作家がよく短編を発表している。『鉄道員(ぽっぽや)』の浅田次郎もこの雑誌で知った。今夜は、これから行こうかな。本を読み始めると、最後まで読まないと気が済まなくなるのが悪い癖でいつの間にか夜が白々と明けてきてしまうこともしばしばだ。しかし、明日は寝坊は許されない。私が中心になって地区の資源回収をしなければならないのだ。その緊張をほぐすためにも、ワインを飲みながら、本でも読んで、ぐっすり寝よう。


6月10日(木) スキャナ再起(動)物語

このひと月の間、スキャナに泣かされていた。原因が判らないのだが、接続がうまくいかない。考えられることはすべてやってみた。ケーブルは何度も差し直したし、ソフトとドライバの再インストール、BIOSの設定の確認などなど。もう、諦めるしかないのか。一度は品物を交換してもらったが、結果は同じ。1度だけ認識してスキャンできるのだが、2度目以降は「接続が確立できていません」というエラーになってしまう。
一昨日は、マシンを立ち上げるとラウンチャソフトが立ち上がった。いつもはこの時点でエラーが出るのに。恐る恐るスキャナのクイックスキャンボタンを押してみる。「・…。」スキャナはウンともスンともいわなかった。いいんだ別に、気にしてないもん。メールを見たりしている間、約15分。突然、ガガガ・・・とスキャナが動き始めた。
あ゛〜?動いたよ。そこで再度詳細設定をしてスキャンしようとすると「接続が確立してません」おま〜な〜!!ぬか喜びさせるんじゃないぞぉ。
そして今日、会社へスキャナを持って行き、接続できるか試してみた。私のマシンはWindows98プリインストール。会社のマシンはWiondws95だった。スキャナは元々95対応(98でも一応、確認済みとなっている)なので、そちらで動けば機械的な故障かどうか判るとメーカーから言ってきたからだ。Kさん、Tさんが手伝ってくれてインストールも済んだ。いざ再起動。なんてこともなく認識された。オーマイガッ!
これはもう、あの恐るべき相性問題ってやつなのか。その時になってふと、システムチェックをした時に、壊れているファイルがあったことを思い出した。修復ファイルがどこにあるのか判らなくてそのまま放ってあったのだ。別に問題なくマシンは動いていたので気にもしていなかった。家に帰ってからシステムチェックをしてファイルの修復もした。(行方不明だったWindows98のCDを見つけたので)それから、再起動した。…あ゛〜、やっぱしダメだすぅ〜。エラーが出る。
それでも溺れる者は藁をも掴むの心境で、スキャナとプリンタのケーブルを繋ぎ合わせて印刷ができるか確認する(メーカーからの要請)。文字化けだ〜。電源を落としてケーブルを元通りに繋いで(別に期待などしてない)再度、マシンを立ち上げた。
お、ぅおおぉ〜!!ランチャソフトが立ち上がったぞなもしぃ。でも、これだけの事なら今までにもあった。騙されちゃいけない。スキャナユーティリティーで、I/Oポートの接続とモードの自動検知ができなければ、どっちにしろ動かないのだ。ユーティティーを開いて、えいっ!「接続が確立できました」うそ〜。出来たじゃにゃいか〜!!スキャンもそれを印刷することもできるようになっている。どして?どゥしてなの〜。
・・・それから再起動しても、スキャナはきちんと動いている。今のところは…。何か悪い夢でも見ていたのではないだろうか。それともこれが夢なのか。今、念の為もう一度マシンを再起動してみた。スタートアップにあるランチャソフトが立ち上がるかどうか、ドキドキして待つ。動いたよ〜。それにしても今まで動かなかったのはナゼ?原因は不明のまま、迷宮入り。動けばいいんだけど、何だか不安が残る結末である。ケーブルにはとりあえず触らないようにしよう。これ、原因わかる人いる?