|
5月31日(月) 衣更え
昨日はやっと衣更えができた。天気も良くなり布団も久しぶりで干すことができた。
干したあとの布団は、ふっくらと軽くなり、夜になっても日向の匂いが残っている。ジロも気持ちいい〜と言って、布団の上に大の字になっていたが、私も干した後の布団の匂いが好きだった。干した布団は母の匂いがする。
衣更えは、服を入れ替えるのも、もちろん手間なのだが、今まで着ていた服の手入れが面倒なのだ。私はクリーニング屋に洗濯物を出した事が殆どない。今はドライマークのものも家で洗える洗剤があるので、これを利用する。セーター類やスカートなども皆、洗濯機で洗うので種類分けして洗濯をしなくてはならないため、何度も洗濯機を廻すことになる。 だから天気が良い日に一気にやらないとならないのだ。昨日も一日がかりになってしまったが、それでも乾かなかった衣類は畳んでとりあえず押し入れの中にある。
夏物と冬物を入れ替えた時にはすっきりしていた衣装箱も、冬物を入れる時には入りきらないものが出てくる。私はやたらと衣装持ちなのだ。別にいい服をたくさん持っているわけではないし、毎年服を買い揃えているわけでもない。20年も前の服でも取ってあるからなのだ。どこも痛んでいないものは捨てられない。それにスカードなどはまだ履けるので、勿体無い。昔の私はずいぶんと地味だったのだな、と思う。今の方が若い人向けの店で買うことが多いくらいである。私の年はどうも中途半端でおばさん向けの店に行くとサイズも合わないし、第一どう見ても野暮ったい服しか置いてない。私が買い物に行く店がデパートなどではなくて、「ファッションセンター」だからかも知れないが。
そんなわけで衣更えをするたびに「これはまだ着られるから取っておこう」と、そのシーズンで1回も着てない服をまた仕舞い込む事になるのだ。そういえば、今は衣類を仕舞うケースは大抵がプラスチック製になっているが、昔は行李やお茶箱だった。
行李やお茶箱などと言っても今の若い人は知らないだろうが、昔はどこの家でも竹のようなもの(私も材質まではよく知らないのだが)で編んだ行李やお茶屋さんによくある、お茶を入れておく大きな箱に季節以外の衣類を仕舞っていた。しかし、ナフタリンをたくさん入れておいても、セーターなどは必ずどこかが虫食いになってしまっていたものだった。
子供の頃は、母や姉たちと一緒に部屋いっぱいに衣類や行李が広がっている中で、これは来年も着られる、これは妹の誰それにお下がりなどと言いながら衣替えをしたものだ。そうしていると、季節が変わったのだという事を実感したものである。衣更えをした後は、学校などでも何日かの間、ナフタリン臭い服を着た子がいたものだった。今では無臭の防虫剤が殆どで、ナフタリン臭い子などめったにお目にかからないのだろう。
5月29日(土) どんな子育て?
風呂へ入ろうとしていたタロが洗面所から飛び出してきて言った。
「お母さん、いったいどんな子育てしてきたの!」
「へっ?私ですか?」思わず敬語になってしまった。
「ジロったらパンツを頭にかぶっているんだよ!どんな子育てしてきたのさ」
「・・・・どうもすみません」
どんな子育てと言われて、ふと頭をよぎったのが2、3日前の事だった。
頭が痛いと言って頭にぬれタオルを乗せ、私のひざ掛けをからだに巻きつけて絨毯の上に寝転がっていたジロに、風呂に入ろうとしていた私は「ブラジャーかぶる〜?」と言って自分のブラをジロの頭に乗せてやった。
言い訳をさせてもらえば、ジロがちょっとかまって欲しそうに見えたので、笑わそうとしてやったのだ。だが、ジロはにこりともせずに言った。
「やめてよ〜」本当に具合いが悪かったらしい。
どんな子育てと言われて、こんな事を思い浮かべた私の親は、どんな子育てをしていたのだろうか・・・
5月28日(金) 私は誰?
会社の昼休み、家で食事をしていたら電話が鳴った。表示されたのは知らない番号だが一応出てみた。
「奥様ですか?」しまった、何かの勧誘だ…と思ったが、返事をしない訳にはいかない。
「いいえ、いませんけど」うちには『奥さん』はいないので、そう答えた。
「あら、お嬢さんですか?」相手は声からして私より若い娘さんである。
「・・・はい」ちょっと躊躇ったのは私の良心が邪魔をしたのだ。
奥さんがいないならば、すぐに電話を切るかと思いきや、相手の喋りはいっきに加速した。
「今度、大宮にオープンしたエステサロンの××と申しますけど、今なら通常価格・・・・」
相手が息を吸うタイミングを狙って、私は少し尻上がりの声で言った。
「あの〜、ちょっと判らないんですけどぉ」こうなればあくまで、娘さんで押し通すしかない。
相手は少し鼻白んだようだったが、やっと電話を切ってくれた。その後すぐに電話が掛かっても音がならない『お断り登録』をしておいたのは言うまでもない。
それにしても、私の年ならどこかの?奥さんだろうと誰もが思うのらしく『奥さん』と呼ばれると何と答えていいのか判らない。初対面の相手だと、なおさら当たりさわりのない呼び方だと思うのだろう。それに友達と話していて家計の話になどになると大抵一度は「主婦だもの・・・」とか「これは主婦じゃないと判らない事よね〜」という言葉が出る。
私は何気なく「そう、そう」と相槌を打っているのだが、後でよく考えると私は世間一般から言うと主婦でもないらしい。しかし、まったくの独身ならともかく子供がいるとやっていることは主婦と同じだ。主婦であり、世帯主であり、母でありその上、父親の役目もしなければならない。私はいったい何と呼ばれるべきなのか?
・・・・そりゃ、オバサンだろうって?はい、その通り。悩むこともなかったわい。
5月27日(木) 昨日の続きなど
今朝は雨の中、学校の前で旗を持って子供を誘導するいわゆるみどりのおばさんをして来た。こういう時、メガネをかけているととても不便なのだ。旗を持つときは傘を差してはいけないので、かっぱを着ている。フードをかなり深くかぶらないとメガネが濡れて前が見えなくなる。かといって、あまり深くフードをかぶっても左右が見にくい。まったく、難儀なこった。
家に帰ると玄関のドアが開いていた。給料出たばかりだぞ!今日だけは現金が家にある日なんだぞ!盗まれたら1ヶ月重湯だけだぞ〜!!と、思いつつ家に入るとジロの箸箱と名札がテーブルの上にあった。…帰ったら、どうなるか覚悟しておけ。
昨日の日記について、書き加えておきたい事がある。言葉足らずだったような気がするので。
NHKの大河ドラマの内容は、決して史実に基づいていないわけではない。が、ドラマは主役が必要になる。主役はどうしても綺麗に描くようになる。人間なのだから当然持っている明暗の暗の部分は省かれたりする。人殺しをしても、その理由を尤らしく描いてしまう。 そして、主役に対する敵役は、ことさら悪い面を表に出して描かれる。それがドラマ作りの常識なのだろうが、歴史ものを扱う場合には気をつけて欲しいと思うのだ。大河ドラマは、単なるドラマとしてではなく、歴史の勉強に見ている人も少なくないようなので、よけいにそう思う。
忠臣蔵は、それほど遠い昔に遡った話ではない。色々な歴史的資料も残っている。吉良がそれほど悪い殿様ではなかったという話は、小説や歴史の本を読むと結構でている。が、特にこの話は世間一般に浸透している話なので、益々赤穂浪士は可哀相、吉良は悪い奴という図式が広がるような気がするのだ。
両国の回向院には、いまだに赤穂浪士に花を手向けにくる人が後を絶たないそうだが、浅野内匠頭は正しくて吉良は悪人という認識しかしてない人が、もし多かったとしたら私は残念なことだと思うのだ。
討ち入り事件は、毎年暮のテレビドラマの定番のようになってしまったが、それだけにいい加減、赤穂浪士は正で吉良は悪という常識?のような描き方を見なおして欲しいと思うのだ。
もっとも、私は大河ドラマも見てないし、年末の討ち入りドラマも殆ど見たことがないので、あくまで巷のドラマ評を聞いて判断しているだけである。間違っていたら申し訳ない。
私は元来へそ曲がりに出来ているので、皆がいいと言ったから、という理由だけでは素直に受け入れたり、信じ込む事ができないのだ。大勢でいきなり乗り込んで、ひとりの人間を殺すような所業を理由はどうあれ正しい事をしたとは思えない。心情的に理解?できても、やられた方にだって罪もない家臣や下働きの人間、あるいは女子供もいたはずで、彼らは巻き添えを食っただけではないのか、などと考えてしまう。
集団になった時の人間のおぞましさを考えた時、どんな場合でも、私は集団と聞くと一歩下がって見てしまうくせがあるのだ。 だから私は団体旅行も大嫌いである。
5月26日(水) ドラマと史実
テレビ欄の投書にこんなような事が書いてあった。
「これまでの『忠臣蔵』では、なぜ浅野内匠頭が刃傷に及んだのか判らなかったが「元禄繚乱」を見て納得した。片や切腹、片やお咎めなしでは、あんまりの事で涙が出た」37歳・自営業とある。
私は常々思っている事なのだが、NHKの大河ドラマを見て、歴史を忠実に描いていると思い込む人がどうして、こう多いのだろう。
例えば水戸黄門を見ている人でも、黄門さまは実際には殆ど他の国へ行ったことがない事を知っている人も多いと思う。それを知ってはいても、ドラマとして『水戸黄門』を楽しんでいるのだと思うのだ。
それなのにNHKのドラマとなると、『徳川家康』にしてもそうだったが、徳川家康は狸オヤジと評された人物でもあるのに、何かとても真面目で心優しき天下人のように描かれていると、それを信じ込んでしまう。決して家康を悪く言うつもりもないが、家康が自分の長男を殺した事は事実である。ドラマではそれを涙、涙で(それこそドラマチックに)描いているが、当時は親子であろうと殺し合う事など珍しいことではない時代だった。ドラマの演出にケチをつける気はないが、こうしたもので歴史を誤解されて行くのは、歴史好きの端くれの私としてはあまり喜ばしい事ではないと思っている。
忠臣蔵については、一言いわせて頂くと、殿中での刃傷沙汰はご法度である。殿中に刃物を持ち込むことさえ禁止されていた。同じように刃傷に及んで処罰された人もいる。国会でピストルをぶっ放してはいかん、という法律があるようなもので、それを破った人間が咎めを受けるのは当然の事なのである。
それに史実では浅野内匠頭は自分の領民や家臣からは、短気な殿様だと畏れられていたという。自分の短気から家を断絶させた殿様など、だれが敬うのだろう。
それに引き換え、吉良の殿様の方は領民からも慕われ、善政を敷いていたという事だから、今でも吉良の地元では「吉良の殿さま」と慕われていると聞いた。現実とは、こうしたものなのかも知れない。
私はドラマを全面的に否定するわけではない。ドラマから歴史に興味を持って、本を読んだりするようになると、また見方が違ってきて楽しいと思うのだ。いわゆる歴史書ではなく小説でもいいのだ。ただ、作者によって思い入れのある人物が違うので、出来るならひとりの人物について複数の作家が書いたものを読むといいと思う。 それにしても、『忠臣蔵』は日本人の判官びいきの典型が現在も続いている話だと思う。世論が歴史を作って行くのだろうか。考えると恐ろしい話である。そして、日本の歴史教育の貧弱さが、こんなところにも現れているのではないかと思うのだ。
|