うすば蛉蜻日記

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5月25(火) 会議は踊る

私の住んでいる地区では毎年納涼大会が8月に行われている。私は今年、地区のPTA役員になっているため、納涼大会にも参加しなければならない。今日はその第一回実行委員会が行われたのだ。
今年は納涼大会を実施するに当たって問題が起きていた。今まで納涼大会を行っていたグランドが建売住宅に変わってしまったのだ。これも不景気の余波だろうか。そこで、まずどこで納涼大会を行うかが重要課題になってくる。実行委員長は
「近くのお寺の駐車場を借りようかと思いましたが、盆踊りのやぐらがコンクリートの駐車場には立てられないっつう事で、その隣にあるゲートボール場で行うことにしました」と口火を切った。
ところが、それを聞いていた老人会代表の弥吉じいさん(仮名)は、黙っていられない。
「ちょっと、まった〜」の声がかかる。弥吉じいさん曰く
「せっかく2年がかりで整地したゲートボール場にやぐらの穴なんかあけられた日にゃあ、後で平らに直すのが大変だ〜。年よりばっかで2年がかりで、やっとこさ使えるようにしたんだから〜」と、言うのだ。
そこで会議は紛糾した。「やぐらがなければ納涼大会になんね〜べ」、という自治会長たちと「いんや、ゲートボール場に穴空けられるのは困る〜っちゅうの」と言う弥吉じいさんと「そうよね、そうだわ〜」と加勢する婦人会のおばちゃんたち。
私のような新参者はただ、ひたすら決着がつくのを待つだけだ。私はその間にも隣の子供育成会の会長とこっそり、PTA受け持ちの廃品回収でのトラックの手配の打ち合わせなどをしていた。
結局、場所については、次回の実行委員会で決めようという事になり、第一回納涼大会実行委員会はお開きになった。それにしても、田舎の祭りというのは、なかなかどうして骨が折れるものである。子供たちより大人(じっちゃん、ばあちゃん)の方が楽しみにしているフシがある。
私は、ここに越して来て3年で、去年初めて地区の行事に子供育成会の役員として参加したのだが、その時にも色々と面倒なことがあって、正直うんざりしていた。だからもし、県営団地が当たったら、こういう面倒な関わりともおさらばできると内心期待していたのだが…。地区の行事を大切にしなければいけないとも思うが、中に入って見ると、私のような余所者には理解できない事が多いし、口も出せないのが実情なのだ。


5月24(月) 宮本 輝を読む

宮本 輝は私の大好きな作家のひとりだ。いや、一番好きな作家だと云っていいだろう。本を読んだことはなくても名前は聞いたことがあるという人も多いと思う。
私が宮本 輝を好きな理由は、必ず何かしらの感動を与えてくれるからだ。癒しと云ってもいいかも知れない。
心が疲れている時に、宮本 輝の本を読むと、ほっとするのだ。宮本 輝がどんな人生を送ってきたのか知らないが、この人の描くものは皆、哀しくて優しい。
登場人物は決していい人たちばかりではない。お天道さまの下をまっすぐ歩いてきた人は少ない。人の暗部を描きながらも、宮本 輝は決してどの登場人物も見捨てない。

一昨日のことになるが「彗星物語(上・下)」を読んだ。本の内容をここで詳しく解説するつもりはないが、一応あらすじだけは書いておこう。
城田家にハンガリーからポラーニという留学生がやってくる。城田家は城田夫婦と四人の兄弟(姉妹)、夫の父親、自分を犬とは思っていない老ビーグル犬フック、そして離婚して四人の子供を連れて戻ってきた夫の妹の12人の大家族だった。
留学生は城田家の主の事業が、まだ順調だった時に約束をしたのだった。しかしその後、事業は失敗し、夫は再就職したものの、閑職にいる。長女は大学進学を諦め、次男も塾へ行きたいとも言えない。一家は、夫の父親から度々援助を受けて暮らしを立てていた。そんな中にやってきた留学生と、言葉や文化の違いから問題が起き、それは家族の心にも様々な変化を起こして行く。

本の内容を詳しく書いても、稚拙な筆ではすべてを言い表せない。ただ、読後感を書いておこうと思う。
私は読み終わって、切なさと同時に心の中へ染み入るような暖かさを感じていた。留学生ポラーニの父親は日本での両親になる城田夫妻へホメ―ロスのオデュッセイアから
『――預言者や病をいやす医者、あるいは船大工か、その歌で人の心を楽しませる尊い歌人のような、みんなのために働く人のほかは、誰がわざわざ自分からよそ者を招くものか――。』という言葉を贈る。
この言葉のほんとうの意味を私は知らない。ホメーロスも読んだことなどない。が、これはこの物語の中で重要なキーワードになっているのだ。私がこの言葉から感じたことは、うまく表現できないけれど、大体こんな事である。
自分から招かなくても生きている限りは、色々な人と関わりあって生きていく。よそ者を招いてしまうのだ。そのよそ者とどう関わって生きてゆくかは、その人次第である。
互いによそ者のまますれ違って行くか、大切な隣人となるのか。
城田家の人々が突然現れた同居人に最初は戸惑い、様子を伺い、気を使い、衝突をしてやがて家族として受け入れるまでの葛藤がこの言葉の中に透かし彫りのように浮かび上がってくるような気がした。

この物語の中で老ビーグル犬のフックはとても重要な役割を果たしている。一言も人間の言葉を発しないものを最大のメッセンジャーとして登場させているのだ。彼は諍いが始まりそうになると、吠え立てる。争い事が大嫌いなのだ。
フックはとぼけた顔をして、実は家族の中で一番、物事を理解しているかのようにも見える。そして、ポラーニが留学期間を終え帰国し、娘たちが伴侶を見つけてというように家族それぞれにも旅立ちの時を迎えた時にフックはこの世から去って行く。
彗星物語というタイトルのように、登場人物たちがそれぞれに彗星のように輝いて生きていく道を見つけた時に、老ビーグル犬は『預言者――或いは人々のために働く者』としての役割を終えたのかも知れない。

宮本 輝の本は、私の生涯のバイブルになると思っている。


5月23(日) 街頭インタビュー

今日、伯母の一周忌でお寺へ行った。伯母の兄弟である私の母や叔父、叔母たちと、私の兄弟、従兄弟たちも集まった。妹や従兄弟とは久しぶりに会ったので、帰りにお寺の近くにある巣鴨の商店街をぶらぶら歩いていた。
すると人ごみの中からふたりの男女が私たちに近づいて来た。『ダウンタウンデラックス』の者ですが、ちょっといいですか?という。 何の事かと思ったら、番組の中のクイズに使うインタビューに答えて欲しいという。
『ダウンタウンデラックス』というテレビ番組の最後に1000人だか100人だかに聞きましたというコーナーがあり、出演者は一番多いと思われる回答をそれぞれ選んで木馬に乗る。それが一斉にスタートして、一番回答の多かった答えを選んだ出演者が勝ちになる。ただ、それだけのコーナーなのだが、実は私も時々見ている番組だった。
質問はふたつあって、ひとつは子供を持っている人だけにしているという。「子供の名前をつけた時の方法は?」というのが、その質問内容だった。私たちの中で子持ちは私だけだったので、私が質問に答えることになった。
「自分の親がつけた」など幾つか選択項目があったのだが、タロの名前の場合は人には辰年の長男だからと、もっともらしい理由を話しているが実をいうと田村正和が主演した「パパはニュースキャスター」というドラマで正和サマが演じていたニュースキャスターの名前からとったのだ。長男の名前だというのに、いい加減な親である。
そんなことをいちいち説明するのも面倒なので、項目の中に「姓名判断で」というのがあったので、それにしてしまった。一応、後から姓名判断の本は読んだのだから、嘘ではない。
次の質問は「北海道旅行をするなら、ぜひここは行った方がいいと思うところ」という質問だった。
「時計台・サッポロビール園・富良野のラベンダー畑・小樽の裕次郎記念館」などと書いてある中に「網走刑務所」があった。私は思わす「これ!」と網走刑務所の文字を指差した。すると妹たちだけでなく、取材をしていた若い人たちも一斉に笑い出した。なんだ、何がおかしい。
私は結婚した年にゴールデンウィークを利用してハネムーンパックで北海道を旅行したことがある。最初にタクシーで行ったのが、時計台だったがあまりにこじんまりしてしているのに驚いた記憶がある。タクシーの運ちゃんが自分の責任のように「こんな所にあるんですよ。小さいでしょ。皆さんびっくりするんですよ、すみませんね」といっていたのを今でも憶えている。
サッポロビール園ではジンギスカンを食べたが私の口にはどうも合わなかった。富良野ではこのゴルフ場の周りが全部、ラベンダーの花で埋め尽くされるんですよ、とホテルの人に聞いたがその時は花など一輪も咲いていなかった。そして当時は小樽には裕次郎記念館などはまだなかった。裕ちゃんはまだ健在で活躍していたのだから。
そんな中で旅の終り頃に行った網走刑務所は強烈な印象が残っている。もちろん現在使われている刑務所ではない。かつての刑務所跡を記念館のようにして残してあるのだ。一部、昔の監獄がそのまま保存されており、そこへ入った時には背筋に冷たいものが走った。
質問に答え終わると、今の回答をしているところを撮影させて欲しいという。すると、それまで一緒になって答えていた妹と従兄弟はいや、それは結構です、などと言い出した。実はふたりとも演劇関係の仕事などをしているのだ。顔など知られていないが、やはり照れが生じたのだろう。それで、私ひとりが撮影されることになってしまった。といっても番組ではどんどん回答した素人の顔がひとり1秒にも満たない間にスライドしていくだけの事なのでハンディカメラでちょこっと映すだけである。
インタビューが終るとお礼にといって小さなカードのようなものを渡された。テレホンカードでもくれたのかと思ったら、番組宣伝の厚紙にバンドエイドが3枚くらい挟まったものだった。意外とケチである。
6月の末と7月の頭頃に放映される『ダウンタウンデラックス』で「姓名判断でつけました〜」「網走刑務所です」と言っている喪服姿の(法事の帰りにこんな事をしていいのだろうか)私のアホ面が一瞬だが放送されるらしい。


5月19日(水) 顔を洗う

年をとると段々とものぐさになる。昨日は顔をタオルでごしごし拭いただけで、会社へ行ってしまった。化粧もしないので、鏡も当然のこと、めったに見ない。時々、顔が薄黒いなと思うとうっすら髭が生えている。産毛もこの年になると男並に濃くなるようだ。

洗顔をするのにも、昔は化粧品会社の洗顔石鹸を使っていたが、今では流し台にある手洗い用の薬用石鹸ですませてしまっている。ところがこの石鹸を使っているうちに肌の調子が良くなってきた。雑菌を取るせいか、吹き出物が減ったのだ。ものぐさにも、たまにはいい事がある。そのうえ友達から、肌に張りがあっていいわね〜などと云われて私はすっかり気を良くしていた。
先日も顔を洗っていたのだが、石鹸の泡立ちが少し足りなかったので、目を閉じたままポンプをもうひと押しして、石鹸を手に取った。顔につけると、やけにすべりが良い。それに鼻に染み入るライムの香り。・・・・食器洗い用の洗剤だった。
洗剤を洗い流すと、とたんに顔がぴんぴんに突っ張ってきた。張りが出るにも加減というものがあるだろうに。


5月17日(月) 落し物

夕方、部屋で着替えをしている私のところへタロがきて
「さっきトイレに入ったら100円拾っちゃった」と、云うので
「あ、それお母さんの〜」と返事をすると、
「違うよ、パソコンの中でだよ」と云われてしまった。あは、あははは・・・うちのトイレで100円落とした覚えなどないのに、つい口走ってしまった。
昨日、どこかのHPから「新幹線で京都へ」というフリーソフトを電車好きのタロのためにダウンロードしたのだが、平面的な線路の図と、3×4センチくらいの車窓に外の風景がアニメで見えるという可愛らしいソフトだった。オプションで車体の色や列車の発車時刻などが選べるようになっていて、その中になぜか『電話をかける』と『トイレに行く』というのがあった。
タロが云ったのは、そのトイレでのことだった。だけど、わざわざ二階へ来て云わなくてもいいと思うけどな。

明日は県営団地の抽選会がある。約3.5倍くらいの競争率だ。微妙なセンという気がする。
私の知り合いの妹は市役所に勤めているが、10年くらい前に同居していた姑と折り合いが悪くてとうとう家をでる決心をした。夫と子供を連れて実家に世話になり、その間に知り合いの市会議員だか県会議員だかに手を廻してもらって、一週間後には公営住宅に入居したそうだ。
まあ、ありがちな話だが、そういうのを聞くと腹が立つより、羨ましいのが正直なところである。
(昨日の日記で、ここのメニューにつけた曲というのは、消してしまいました。)


5月16日(日) 悲しい出来事

森のオルゴールというフリーソフトがある。
私の掲示板に来てくれるMASHAやまさぱぱもオルゴール仲間だ。
作者のHPでは曲データもダウンロードできる。「夜空のムコウ」「北の国からのテーマ」など、幾つかダウンロードして聴いてみた。みんなすごく上手い。それに引きかえ私の作ったものは…。
ここの日記のメニューにもつけてあるけど穴があったら入りたいようなデキだ。あ〜あ、自分で作るの嫌になっちゃうな。そんなことを思いつつ曲を聴いていて、思わず独り言がでた。
「すごいなあ、みんな」
「自分とは大違いって感じ?」ゲームに熱中してたはずのジロに突っ込まれた。
「そうそう!…って云うなよ…」 それが今日の我が家の出来事だった。
♪あ〜あ〜あああああ〜あ・・・(BGMはもちろん『北の国から』)


5月15日(土) 心配性

タロの同級生が体育館の窓に突っ込んで救急車で運ばれたそうだ。幸い怪我は大したこともなかったようである。子供と云うのは何をしでかすか判らないから怖い。
私はかなりの心配性である。昔住んでいた団地には大きな公園が何ヶ所かあって、子供を遊ばせるにはいい環境だった。うちの前にある公園には砂場の真中にコンクリートでできたツルツルした小山があって、トンネルがあったり滑り台がついていたり、鉄の棒につかまって上まで登れるようになっていた。
他の母親たちは、公園へ子供を連れてくると後はグループ毎にかたまってお喋りに花を咲かせている。が、私は子供が山登りを始めれば、後ろからついて上り、トンネルに走りこめば、慌てて後を追いかけていた。一時でも子供から目が離せないのだ。
鉄の棒から足を滑らせれば、コンクリートのふちに頭をぶつけそうだし、トンネルの中に子供たちが砂を撒くのでとても滑りやすくなっている。頭の大きい子供は必ず後ろへ倒れる。下はコンクリートなのだ。

タロが幼稚園の時、朝から遊びに行って昼になっても帰ってこない事があった。昼時はさすがに公園も人気はなくなる。団地中の公園などを見て廻ったが、タロの姿はない。自転車も見当たらない。その頃、幼児誘拐事件が頻発していた事もあり、私は警察へ電話をした。しばらくすると、玄関先には目付きの悪い男がふたり現れた。私服刑事である。
タロが居なくなった状況を話し始めたところへタロが帰ってきた。ふぇ…。刑事に「子供をひとりで遊ばせる方がいけないんだ」というような事を憎々しげに云われた。無事に帰ってきたから良かったけれど、万一誘拐だったらどうしてくれる!と思ったが「すみませんでした」と平謝りして帰ってもらった。
結局タロは友達の家に(同じ団地内)行っていて、そこで昼ご飯もご馳走になって帰ってきたのだった。しかし、普通、突然遊びにきた子供に昼ご飯を食べさせるなら、電話ででも知らせてくれるのが当たり前ではないの?
私がこんな心配性だったせいか、タロもジロも今のところ大きな怪我はない。

しかし、考えてみると昔の親というのは呑気だった。それだけ今の世の中が危険に満ちていると云うことなのだろう。
私が子供の頃は、遊んでいる途中で怪我をしても家に帰る子供は少なかった。転んで膝小僧の肉がべろんと出た程度ならばどこかの水道や井戸水で洗って、また遊びに加わる。私も学校の校庭で遊んでいた時に、廃材のようなものを踏んづけて板から出ていた釘を踏み抜いてしまった事があった。痛ッ!と思って足を持ち上げると、板がズックにくっ付いてきた。が、その板を掴んで釘を引っこ抜くと、また何事もなかったように遊んでいた。
家に帰って自分で救急箱からオキシフルを出して消毒してお終いである。今なら、学校の校庭にそんなものを落としておくとは、けしからん!と騒ぐ親もいるのだろうが昔は親に怪我のことを一応報告しても「あら、そう」ですまされた。
私たちはめいっぱい遊んで、夕焼けが西の空を真っ赤に染め上げる頃になると、電信柱のスイッチを入れながら(昔の電柱の電気は手動で点けていたのだ)「カラスが鳴くから帰りましょ〜」と大声で歌いながら家に帰ってきたものだ。


5月14日(金) あなたの知らない世界

夕べの11時過ぎ頃、タロが突然二階から降りてきた。トイレにでも起きて来たのかと思ったら、スタスタとパソコンの前にいる私のところへ来て
「ねえ、なんえんだっけ?聞かなくちゃと思っていたんだけど…」 と云っている。
「へっ?な、なんえん??」
「ねえ、なんえんだったけ?なんえん?」タロはそれしか云わない。
どうやら、何かの値段の事を云っているらしい。そのコトが明日、学校で重要な意味を持つのか?と思った私は、タロにいったい何の値段の事なのか聞こうとしたのだが、タロは「なんえん?」を繰り返すばかりである。私はなんだかアセってしまい、おろおろしながらタロの言葉の意味を考えるのだが、何のコトを云われているのかさっぱり判らない。
そのうちにタロは、もういいや、諦めたよ、と云って二階へ上がってしまったので後を追いかけて行って
「ねえ、ねえ。何円って何のこと?タロ〜!大丈夫?」と、声を掛けてみたのだが、さっさと布団に戻ってしまった。
どうやらタロは寝ぼけていたらしい。今朝になって聞いても、さっはり判らんという顔をしていた。本人に判らないものが私に判るわけがない。何だか変だとは思ったが、夜中に起きて来ることは珍しいことではなかったし、タロが寝ぼけたことなどまったくと云っていいほど、これまでになかったので、急に変なことを云われてすっかり慌ててしまった。

寝ぼけと云えば、我が家の寝ぼけ大王はジロである。
保育園の卒園間際に高熱をだして寝ていた時、枕元にこびとが来てうるさくて眠れないとか、目覚まし時計が鳴るから止めて!止めて!と、鳴ってもいない目覚まし時計を振り回していた時には、熱でとうとう頭がイカレてしまったかと不安になったものだった。
寝言の凄さも半端ではなく、大抵ケンカをしている。
「もう!やめてよね。・・・・バカ!!」などと、はっきりした声で云う。隣で寝ているタロは、その度に蹴りやパンチを食らっている。
一番ひどかったのは1年生の時に担任と折り合いが悪く、年中担任に怒られていた時だった。寝ついてから、2時間くらい経つと(必ず11時頃だった)家中を泣きながら何かに怯えて走り回る。
挙句の果てには玄関から外へ飛び出しそうになったこともあった。そんなことが毎晩のように続いた時期があった。目は覚めているようで覚めていない。目つきが全然、普段と違うのだ。顔は、引きつっていた。
その時そんなジロを見て、私は別の心配もしていたのだ。

実を云うと、私も子供の頃、寝ぼけの大王だったのだ。今になって考えてみると寝ぼけなどという生易しいものではなかった。大人たちからは、寝ぼけと一言で片付けられていたけれど、私はそういう時に、別の世界を垣間見ていたのだと思うのだ。
オカルトとか心霊などを否定する人に云わせると、すべては精神的な問題と云うことになるのだろう。確かに精神的に不安定な時に、おかしなモノを見たりする事も多い。しかし、魔が差すという言葉があるように、弱っている時に人の心の隙間にもぐり込んでくる奴がいるのだと私は思う。疲れている時に風邪を引きやすいのと同じ事だと思うのだ。
否定されても私は実際に、色々と不思議な説明できないものを子供の頃から見たり、聞いたりしていたのだから仕方ない。

宣保愛子さんという霊能者がいたけれど、今はどうしているのだろう。
テレビでユリゲラーと実験をしたりしていた事もあったが、霊能力と超能力の違いはあまりないと私も思っている。私も子供の頃、お盆になると還ってくる人の声が昼間だろうと家族とテレビを見ている時だろうと聞こえていたし、トランプのカードも目をつぶって触ると、赤か黒か、ハートかダイヤか、そして数字など、ほとんど当てることができた。人と話している時に、相手が喋ることが先回りして判ってしまうことも、度々あった。
そんなわけで、私は大槻教授は大嫌いである。(関係ないか・・・)

問題は、それを私が超能力だとか霊能力(というほど、たいそうなものではないが)だと、自分では認識していなかったことだった。私は頭がおかしいのではないかと、不安で怯えていた。段々、気が狂って行くのではないかという不安は、親にも兄弟にも打ち明けられなかった。
特に誰にも見えないものを私だけが見ていると云うのは、誰にも理解されない事であったし、自分でもうまく伝えられない。まして小さな子供が云う事では大人は真剣に聞いてなどくれない。
テレビで「あなたの知らない世界」などを見るようになって、そうした世界が現実にあるらしいと知ったのは、中学生くらいになってからだった。その頃には、自分には人には見えないものが見えると云うことは理解出来るようになっていた。

ジロは私と性質的に似ているところがある。私は、怖がりで子供の頃にはお化けなんて見たら絶対にショック死すると思っていた。見ていた事に気がつかないで。ジロの様子を見て思ったのは、自分の子供の頃にそっくりだと云う事だった。
そう云えばジロは赤ん坊の時も、夜中に天井の方を見て、ひとりで「あう、ばばば…」などとお喋りしていたっけ。
しかし、できればああいう体験はしない方がいいと思っている。私が二十歳で実家を出た理由は、実を云うとあまりにも怖い体験をした事が原因なのだ。

実は、今でも私は金縛りによく遇う。この話は、夏にでも続きを書こうと思う。


5月13日(木) 眠り姫

寝不足なのか何なのか、このところずっと仕事中に堪えられないほど眠い日々が続いている。寝不足といっても、トータルで5、6時間は寝ている。ただ、眠りの質の問題だろう。なかなか熟睡ができないのだ。
若い時は、12時間くらい眠り続けたこともあった。今では、どう頑張っても4時間も寝ると、一度は目が醒めてしまう。私は腰痛持ちなので、長時間寝ていると腰が痛くて目が醒めてしまうのも理由のひとつだろう。だが、そのまま起き出すわけではない。睡眠時間が少なくても平気なわけではない所が、困りものなのだ。
そして、おそらく数時間おきに目が醒めてしまう一番の理由は、子供を産んでからの癖なのだと思う。

結婚して子供を産んでから、連続して何時間も寝るという事がなくなった。母乳で育てたこともあり、夜も3時間おきくらいには子供が腹を空かせて泣くので、半分眠りながら、母乳をやっていた。うちの子は、朝までぐっすり寝てくれる事がほとんどなかったのだ。
タロひとりの時は、それでも何とかなったのだが、タロが喘息になり、ジロが生まれてからは、ジロの授乳とタロの看病で、睡眠時間ががくっと減った。喘息の発作というのは、大抵夜中の12時を廻った頃から起きるのだ。
総体的に体が弱かったので、夏場の一ヶ月(ホントの真夏の時期)だけがタロの元気な時で、それ以外は毎日、毎晩が心配の連続であった。夜中にがばっと起きた時に(急に「おえ〜」とやらかす時もあるので)、すぐ対応できるようにメガネをかけたままで寝ていた時もあった。

ジロは(いまだにそうだが)おっぱい星人で、2歳まで私の出もしないおっぱいを吸っていた。母乳だけが栄養源だった時には、やらない訳にはいかないので夜中に起されると、壁に寄りかかって母乳を与えたりした。それすら段々辛くなって来ると、暖かい時期だけだったが、胸元を広げたまま寝て、セルフサービスにした時もあった。
そんなことをしなくても、ジロは勝手に人の乳を引っ張り出して吸っていたが・・・

夕べも、さて寝ようかと思って二階へ上がると、タロがぜーぜーしていた。よくある事なのだが、吸入器の準備をしたりして寝るのは大抵1時過ぎになる。けれど、タロは私が寝てしまってから発作を起こすと、よほど苦しい時でない限り自分で吸入の薬を冷蔵庫から持ってきたりするケナゲな子である。寝入りばなの私を起すと、めちゃくちゃ機嫌が悪いのを判っているせいかも知れないが。
私が、準備をしてやって吸入を始めても
「お母さん、もう寝ていいよ」などと、私に気を使うホントに天使のように優しい子である。
そこまで、誉めることもないが…私には、云えない言葉なので、その点では私はタロを尊敬している。こういうのは、男独特の優しさなのだろうか。

歳を取ると、色々なものを喪って行くが、睡眠時間も格段の差で減っている。
かといって早起きなわけでもないのが困りものだ。たまに10時頃に寝てしまうと夜中の2時には目が醒めてしまって、しばらく眠れなくなる。自分の歳を実感するのは、こんなときである。8時間は寝ないと死ぬ〜と思っていた頃が懐かしい。
眠り続けているだけで王子さまが来てくれるのは、やはり若さゆえの特権かも知れない。今の私は寝過ごして会社に遅刻するのがおちだ。