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3月25日(木) いやよ、いやよも・・・
3学期も明日で終わる。4月からはタロが6年生、ジロは3年生になる。
過疎?の地区なので、全校生徒合わせても500人くらいしかいない学校だ。特にタロの学年はいつも80人前後なので、毎年この時期はクラス替えの恐怖に陥る。2年生になった時など、3クラスになって40人学級から26人くらいになり、先生の目も行き届くだろうし、良かったわね、なんて云っていたら、1週間後緊急保護者会が開かれて、実は3月の末に転校した児童がいたので、元の2クラスに戻ります。と、校長、教頭、担任が揃って父兄に頭を下げた。
しかし、こういう所が官僚主義というのか、融通が利かないというか。40人なら一クラスに収まって、41だとはみ出ますって云うのは、一体誰が決めたんだろう。まさか、41は割り切れないからとか、机を並べた時のバランスが悪いとか、風水では良くない数字だとか、あるんかいな。 今年は今のところ、タロの学年は、このまま持ちあがりになりそうだ。やれやれ。
学期末、休み前と云うと、このところ恒例になっているのが、教材会社からの売り込みの電話。それに塾や家庭教師など、など。それも近頃は夜の9時過ぎでも平気でかけて来る。私が若い頃は、母から夕食時や夜9時以降は、よほどの用事がない限り、人様の家に電話をするなど非常識だ、と教わったものだが、ああいう手合いに限ってそんな常識など通用しないようだ。
非常識な時間にいきなり電話をかけて寄越して、聞き取れないほど早口で名乗り、教育についていっぱしの御託を並べて下さる。断わろうものなら、お宅の子供のためを思って云ってやっているのに、子供を愛しているないのか、と云わんばかり。
私はこう見えて気が弱い方なので、なかなか断わるきっかけが掴めない。そうして年に何回かは、電話のベルに怯える生活を強いられる。りり〜ん、いや今はやけに耳障りな電子音が鳴り響く。電話のベルと云うのは、鳴ったら最後、出ない訳にはいかないような強迫観念さえ覚えさせるものだ。
今は飛び込みのセールスなど殆どなくなってきて、まさに揺りかごから墓場までセールスアポインターなるお嬢さんやらオバサンやら気の弱そうな、或いはペテン師のような男性の声で、ご案内をしてくれる。あちらも仕事だと思うと、実はかつてほんの2ヶ月ほど、教材のセールスをしたことのある私は、無下に断われず、ふんふん、と話を聞いてしまい、後悔してきた。
しかし、何度も嫌な思いを重ねるうちに、何とか電話にでないで済む方法はないかと、考えるようになった。そんな時、NTTから掛けてきた相手の電話番号が表示されると云うナンバーディスプレイのお知らせが来た。しかし、ナンバーディスプレイにするには、表示ができる電話機がないと駄目だと云う。悩みに悩んだ末(経済的にだ)去年の秋、ついにナンバーディスプレイのできる電話機を購入した。その説明書を読むと、相手の電話番号を表示するだけでなく、出たくない相手の番号を登録しておけば、相手が電話をしてきても我が家の電話のベルは鳴らないと云う。電話が掛かっても、あの耳障りな音さえしなければ、気がつかないのだから、鳴っているのに居留守を決めこむ時のような罪悪感もない。こんな便利な機能まで付いていたとは、大感激である。
新しい電話機を設置して、息子たちと電話が掛かるのを今か今かと待ち受けていた。けれど、悲しいかなそういう時に限って電話はウンともスンとも云わない。
また、セールスの電話が掛かってきて、失礼な対応でもされたら早速、ナンバーディスプレイを利用して、文句の電話を入れてやろうと手ぐすね引いて待っていると云うのに。誰でもいいから電話をくれないかな、と思ったが、よく考えてみたら普段、我が家へはめったに電話など掛かってこなかったのだ。待ちくたびれた私は、もしかして電話がきちんと繋がっていないのではないかと思って、駅まで走り、駅前の公衆電話から自宅へ電話をいれた。「もし、もし?」ちゃんと息子が出た。
会社でそのことを話すと、今は「184・イヤヨ」と最初に番号を押してから掛けると、相手には自分の電話番号が表示されない機能もあるのだと云う。敵もさるものであった。それじゃあ、何のためにナンバーディスプレイにしたのか判らないじゃないか。家に帰って、よくよく電話の説明書を見直して見ると「184」で掛けてきた場合も「184」を着信お断りに登録すればいいのだと書いてあった。なるほど。 ある日、電話が鳴った。表示を見ると「184・ヒツウチ」と出ている。なぜか胸の鼓動が早くなる。誰だろう。受話器を取るや否や「××さんのお宅ですかぁ〜?タロくんのお母さんでいらっしゃいますよね」来た!遂に来た。心の準備が出来ていたせいか、いつもより簡単に断わることができた。電話を切って思わずガッツポーズ。
「どうしたの?お母さん」
「来たわよ、来たの!売り込みの電話だった。売り込みの電話に勝ったぞ〜!」妙に興奮してしまった。
それにしても、こういうところって、やっぱり「イヤヨ」で掛けてくるのだ。それから何度かそのテの電話が掛かってきたが、皆「イヤヨ」になっている。やましいところがなければ、表示されてもいいではないか。以来、我が家の夜は平穏無事である。
3月24日(水) ほうれん草と朝寝 日付で選ぶ
朝7時起床。息子たちは着替えをすませて、パンを焼いていた。お湯を沸かしてスープを入れてあげる。7時45分、子供たちは学校へ出かけて行った。
今日は卒業式なので、ジロはお別れの会をすませて9時に下校。私が会社へついてお茶の支度をしていると、ピンポ〜ン。
他の社員が出社してくる前にジロが帰ってきてしまった。早過ぎる〜。(自宅と会社は徒歩1分の距離にある)家の鍵を渡す。
昼、今日から給食もないので、息子たちの昼食も作らなければならない。時間がないのでラーメンを作ることにした。具はハムとゆで卵とほうれん草。ゆで卵と茹でたほうれん草は同僚のHさんから貰ったもの。いつも色々とお世話になっている親切な人だ。
「いただきま〜す」私はちょっと色が変わっているなぁ、と思いながらほうれん草を一口食べた。くっ、腐ってる?私がものぐさなのを知っているHさんがわざわざ茹でて持ってきてくれたほうれん草だが、貰ったのいつだったっけかなぁ〜。具がひとつ減ったラーメンを三人で食べる。
「あ〜、何か物足りないなぁ。今朝、ご飯食べ損ねちゃったから」と私が云うと、長男タロが
「どうして?今朝はめずらしく早く起きてきたじゃない。ひとりで」
「タロたちが学校行ってからまた寝ちゃった」
「せっかく早く起きたのにね。僕が起こさなくても」
「すみません・・・・」
教訓:老いては子に従え
3月23日(火) お産のこと 日付で選ぶ
テレビの「万物創世記スペシャル」を見ていたら(赤ちゃんいのちの誕生)、息子たちの赤ん坊の頃のことを思い出した。
妊娠中そしてお産の時の思い出を書いてみようと思う。
長男・タロの場合
タロが生まれたのは今から11年前のこと。つわりがひどくて、3ヶ月で4キロも痩せた私はつわりが終わったとたんに、それまでの分を取り戻すかのように、どんどん太っていった。私の主治医はラマーズ法で有名な(その頃、はやりだった)先生とかで、他県からわざわざ来る人もいるほどだったので、病院はいつも混んでいて、先生はいつもイライラしているようだった。しかも、とても体重管理に厳しい先生で私は「母親になる資格がない」とまで云われた。神様に誓っていうけれど、二人分食べた覚えはない。
便秘もひどくなり、ある検診日に一週間で1キロ以上太ったことを叱られたので
「便秘をしているので・・・」と云うと
「いくら便秘していても1キロ分も溜まるわけがないでしょ」と、先生はますますおかんむりになってしまった。
だけど先生、私はトイレに入る前と後で体重を計っていたけど、すっきり出した時には1キロ減っていたんですよ。(あの時は云えなかったけど、事実なんだ〜)
結局妊娠第37週で腹囲は92センチ、体重は妊娠前より12Kg増加していた。これはまずい、早く生まないと60キロの大台に乗ってしまうと思った私はせっせと散歩に精を出した。それが功を奏したのか、37週の終わりに陣痛が来た。お産に関する本によると陣痛は1期では何時間間隔で、2期になると何十分間隔になる、などと書いてあるけれど初めての経験では、一体この痛みは何期で、お産の前兆としては、どのあたりにいるのか、なんてまるで判らない。
とりあえず病院に電話をした。夜の8時過ぎくらいだったと思う。すぐ入院の準備をして来るようにと云われて、その頃はまだ夫だった人の運転する車で病院に向かった。病院につくと先生に
「もっと早く連絡くれなくちゃ。出かける用事があったのに」とまた、叱られる。
私は陣痛微弱という体質?らしく入院はしたものの肝心の陣痛の方は、引いてきてしまった。まだ、当分生まれそうにないということで、夫は家に帰された。私は点滴をされ、何時間かおきに薬を飲まされ(何の薬なのか、教えてくれなかった)ベットの上でボコン、ボコンと規則正しく、だけどやたらと大きく響く子供の心音を聞いていた。
翌朝、8時。夫が病院についた時には、陣痛がかなり強くなっていて朝食など食べられる状態ではなかった。
午前中の診察の前に内診をした。と、いきなり先生が
「破膜しま〜す」と云ったかと思うと、ドバッと生暖かい液体が私の体内から流れ出た。先生が手で破水をさせたらしい。
記憶が正確ではないかも知れないけれど、その後陣痛室のその隣の順番待ち用?のベットへ移されて、浣腸などの処置をされて、寝ているように云われた。私の前にもお産に入っている人がいるというので、私はずいぶん長い時間、その部屋で順番待ちをしていた。
「うう〜ん」と前の人がお産をしている声も、最初のうちこそ聞こえていたけれど、段々それどころではなくなってきた。お産の痛みは障子の桟が見えなくなる程というけれど、ド近眼の私はメガネを外してしまっていたので、足元の壁にかかっている時計の文字盤が読めない。時間がとてもゆっくりと進んでいるように思える。
やっと陣痛室に入れてもらえる。そこでまた、待つのだと云う。初産なので、子宮口がなかなか開かないとのこと。陣痛が頂点に達しているというのに、私の子宮口は3センチしか開いていなかった。(10センチまで開くとお産になるらしい)何度も子宮口を柔らかくする薬を注射されるが、30分、一時間経っても変わらない。すると、やおら先生が
「ちょっと痛いかな?」などと云いながら、むぎゅっ!私の子宮口を手で広げたのだ。(牛か、私は・・・)
痛い!何分間隔どころではない。のべつ幕無しに痛い。えび反り、のたうち廻る。助産婦さんと看護婦さんが呼吸法をやれと云うので 「ひっひっふ〜、ひっひっひ・・・」と始めると
「まだ、それは早いわよ。ひっひっふ〜、ひっひっふ〜、よ」
んなこたぁ、どうでもいいじゃないか。妊娠教室では、やり易い方法でいいって云ってたくせに。
やっと分娩台に行けることになった。・・・歩けない、腰が砕け散ってしまったようだ。
「ちゃんと歩かなくちゃだめ」また叱られる。お産するのって、こんなに情けないことだったのか?
分娩台はラマーズ法用に座っていられるように(座産と云っていた)なっているので、横になっているよりは楽になった。とは云え痛みはもう何が何やら訳がわからないほどになっていた。そこでまた、ひっひっふ〜が始まる。
「ご主人も一緒にやってください。ひっひっふ〜、ひっひっふ〜うん!」と助産婦さん。
云い忘れたけど、夫もずっと付き添っていてくれた、が、こういう時に男は何の役にも立たないことを実感。
こうして、長男が午後1時28分に誕生した。生まれた瞬間、涙が溢れたが、その涙は、もう痛い思いをしないくて済むんだ〜と云う喜びの涙であった。
3,318グラムの長男は、「大きい、大きい」と先生や看護婦さんたちから、散々言われた。その病院では2000グラム台で生むのが普通だと云う。(そのための体重管理なのだ)
でかくて丈夫そうに見えたせいか、長男は新生児室のベットに空きがないからと、生まれてから3日くらいの間、ずっと作業台の上に寝かされていた。個室を予約していた私もお産ラッシュの時期(って何なんだ)に重なり、2度も病室を代えさせられ、相部屋になってしまった。母子揃って、散々な初産だった。
私と一緒に「ひっひっふ〜」をやった元夫は翌日、会社の階段を上ったときに足が筋肉痛を起こしていたそうだ。(それくらいのことが何だと云いたい)
感想:妊娠で10キロ以上太って、生んだ後は4キロくらいしか減ってなかった事が、一番ショックだった。
3月22日(月)18歳・甥っ子の生態 日付で選ぶ
甥っ子が北海道から出てきて私の実家に泊まっていると聞いて家に呼んだ。来る前に電話で「泊まれるのなら泊まって行きなさい」と云っていたのだが、出迎えて見ると甥は手ぶらだった。
「あら、泊まらないの?」と聞くと「いやぁ・・・」と云う返事が返ってきたので、チビとオバサンしかいない家に泊まるのは退屈なんだろうとひとり合点した。
久しぶりで会った甥はにきびの跡がぽつぽつ目立つものの、なかなかいいオトコになっていた。今時の若者らしく(私語?)この寒いのにトレーナーにGパンと云う軽装。さすがに若さだと思っていると、「北海道に比べたら暑いくらいだろうと思って薄着で来たら、寒くて風邪ひきそう」なんだとか。あまり遅くなると余計に寒くなると思い、早い時間に夕食を済ませて帰らせた。
夜、甥の母親(私の姉)から電話があったので「泊まればっていったのだけど、着替えも持たないで来たから帰した」と云うと「そうじゃないわよ、泊まるつもりでも着替えなんか今の子は持って行かないわよ」と云われてしまった。
うちの子どもたちがどこかにお泊まりに行く時はリュックに下着はもちろんパジャマに翌日の着替え、それに常備薬まで詰め込んで出かけるので、まさか手ぶらで来るとは思ってもいなかった。泊まらないの?と聞いてもはっきり答えないし。
18歳のオトコはシャイの塊だったのだ。
おまけに「寒いのに薄着で来たから心配したわ」と私が云うと「それじゃ何で帰したのよ!」と姉から叱られてしまった。
教訓:自分のこどもを基本にしてはいけない
3月21日(日) 赤ちゃんはどこから生まれてくるの?日付で選ぶ
うちでは子供(11歳、9歳オス)には性の事もわりあいに隠さずに話している。隠してもいずれは判ることだから、誤った情報を変なところから仕入れるよりはいいだろうと思っている。それに今は学校での性教育がすすんでいて、長男が3年生の時に授業参観に行ったら先生がいきなり「ペニスがどうの」とか言い出したのには正直びっくらこいた。
それでうちの子供は学校に上がる前から赤ちゃんがどこから生まれてくるのか知っていた。(知識として)
次男のジロがまだ保育園の頃のこと、私がお風呂に入ろうとして服を脱いでいたら
ジロ 「ママ、赤ちゃんが出てくるところを見せて!」
私 「え″っ!▲☆◆・・・そ、それは将来奥さんになった人に頼んだら?」
ジロ 「ふえ〜ん、ママは僕のことを愛していないんだぁ」
(おいおい、どうしてそうなるんだよ・・・えぇ〜い、しゃあないか)
私 「ここだよ!」
ジロ 「うえ〜、見なければ良かったぁ〜」
二度と見せるもんか!!!
教訓:知らない方が幸せなこともある
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