うすば蛉蜻日記

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9月30日(木) 美術館にて

今日はせっかく仕事も休みをとっていることだし、家にばかりいるのも勿体ないと思って、美術館へ行った。
普段子供連れの時には、GパンにTシャツでどこでも行ってしまうけれど、今日はひとりだし美術館だし(関係ないか)少しばかりお洒落をして行った。
場所は実家が今もある、京浜東北線沿線の埼玉県立近代美術館だ。駅からすぐの公園の中にある。埼玉大学も近い。
私がその街に住んでいた頃は、ちっぽけな公園で、「老人公園」と呼んでいた。ところが今日、10数年ぶりに行ってみて驚いた。さほど広くなったわけではないが、歩道も整備され、昔からあった噴水のほかにも小さな滝が造られていたりして、さながら浦島太郎になったような気分。
平日だというのに人が多いのにも驚いた。元気がいいのは中年の主婦らしき人たち、幼い子供を連れたヤングママ、ちょっとお疲れ気味なサラリーマン風の人、住所不定風?の人など、様々な人が公園内や美術館にいた。

美術館へは、私が油絵を始めたきっかけとも言える、モネの絵があるというので行ったのだった。最初に第一展示場で行われていた「埼玉国画会展」というのを見た。
どういう人たちの集まりなのか判らないが、抽象画あり、写真あり、工芸(織物)あり、写実派あり〜ので、それを見ているだけで疲れてしまった。腰が痛くて堪らなくなってしまったのだ。
所々に置いてある椅子に腰掛けて休み休み、何とかすべての作品を見たものの、これ以上歩き回る気がしなくなってしまった。
あまり時間も経っていないけれど帰ろうかと思い、出口を捜して歩き出した時、ぽっかりと明るい空間にでた。
そこは建物の中心部のようで、何階まであるのか判らないが吹き抜けになっていた。(ちなみに、この建物は黒川紀章がデザインしたと聞いた)
そこにあった一体の彫刻の前で、私は釘付けになった。
神父像だった。その目は空洞になっているのだが、私を見つめているようにも、虚空を見据えているようにも見える。
像の隣に説明書きと共に、印刷物があった。
作者は船越保武(1912〜)とあり、この神父像についての説明が詳しく書かれていた。
この像のモデルはダミアン神父(1840〜1889)というベルギー人で、ハンセン病患者救済に献身的な働きをして、自らも同じ病で亡くなったという。そのダミアン神父の行為を顕彰するために、やはりクリスチャンである船越保武が制作したのであった。
そして、この像は神父が亡くなる直前に撮られた写真を手がかりに制作されたと言われているそうだ。
顔や身体(手)には、ハンセン病特有の結節がある。神父の顔は慈しみとも、哀しみともつかない表情を湛えており、私は目を逸らすことができなかった。
私は、神父の像に向かって十字を切り、手を合わせずにはいられなかった。
モネの絵は見られなかったが、このダミアン神父像を知ることが出来ただけでも、来てよかったと思った。

帰宅すると、ちょうど病院の午後の診察時間が始まるところだったので、疲れた身体を引きずるようにして出かけた。
今日は、先日行った胃液からの結核検査の結果が出ている日だった。
検査結果を見ながら、先生は「体調はどうですか?」と聞くので、日曜日辺りから熱もほとんど下がり、咳もありません、と私は答えた。心療内科へ行ったことは言わなかった。
結核の検査の方は、ひとつだけまだ未検査(結果が出ていない)ものがあるが、たぶん大丈夫でしょう、ということだった。
やれやれ、違うとは思っていたけど、安心した。と、思ったら
「それで、その前にやった膠原病の血液検査なんだけどね、リウマチがあると出ているんですよ」と先生。
が〜ん!そりゃ、ホンマかいな。そうかいな〜。
朝起きた時に指が強張るとか、関節が痛むとかありますか?と聞かれても、年中あちこち痛むから慣れっこになっていて、日常で困るほどのことなどない。強いて言えば、ポテチの袋が開けられなくなったとか・・・その程度なんだけど。
検査結果の用紙を見せてもらったが、ナントカカントカが「+2」と書いてあり、これがリウマチあり、ということらしい。
今度は大学病院へ行けとさ。何だか知らないが、二通も紹介状をもらって帰ってきた。(カルテのコピーや血液検査の結果らしい)
明日も仕事は休みをとっていることだし、早めに行った方がいいだろう。まあ、結核を疑われたお陰で、ついでにやった検査で自覚症状がないうちに病気が見つかったのだから、良かったのかも知れない。


9月29日(水) 馬並み後日談

最近子供たちは、やけに私に優しい。病気のことを話したわけでもないが、やはり感じるものがあるのだろう。
タロは、何かにつけて
「お母さん、身体の具合はどう?」と聞いてくる。
ジロは、昨夜
「お母さん、死んだ人を冷凍にしておくと、未来には生き返えらせるように出来るの?」
と言うので、何を言っているのかと思ったら
「お母さんが死んだら冷凍にしておく。お母さんにはいつまでも生きていて欲しいから」
・・・ジロは将来、絶対スケコマシになるだろうなぁ。
それにしてもヒステリーばかり起こしている私から、よくぞこんなに優しいムスコたちが生まれてくれたものだ。
子供がいて良かったなぁ〜と思う瞬間である。

ところで、先日の『馬並み』には、後日談がある。

子供たちと、ムツゴロウ先生こと、畑 正憲さんのテレビを見ていた時のこと。
ちょうど馬が疾走している場面があった。私は先日のジロの質問に、いい答えが見つかったと思った。
「ほら、ジロ。これが馬並みってことだよ。馬のようにものすご〜く早く走れるってコト」
これでジロも納得するだろう。我ながらいい考えだと思っていた。ところが
「ふ〜ん。でも、ちっともHなコトじゃないじゃないよ」・・・スルドイ突っ込みが返ってきた。
ジロや、あんたって、どうしてそんなに物覚えがいいの?


9月27日(月) 意外な?展開

今日、午後会社を早退して心療内科へ行ってきた。
昨日ネットをしていたら、ある診療所の医師が精神的な悩みの無料メール相談というのをやっているのを見つけて、メールを 出して見た。すると、即日回答で「近所の心療内科を受診することをお勧めします」と書かれていたのだ。
自分でも思い当たるフシが多過ぎて、今まで行かなかった方がどうかしていると思うのだが、精神的な悩み(病気?)というのは実社会ではあまり問題とはされないし、当人の気持ちの持ちようだと思われることが殆どではないだろうか。
実際、私もこの程度は気の持ちようで何とかなると、ずっと我慢してきてしまったのだから。

午後3時の診察時間きっかりに病院へ着いたのだが、1時間ほど待ってようやく名前を呼ばれた。私の前に診察室へ入ったのは、たったふたりだ。こういう病院では診察に時間がかかるのだろうな、と思ってはいたが待合室のテレビの音がうるさいのに苛々してしまう。
診察室に呼ばれて、少し驚いた。普通の病院のようにベッドなどない。しかも、ものすご〜く狭い部屋だった。部屋中にたくさんのモノがあって、先生はその中に埋もれているような感じ。
先生の机の前のイスに腰掛けて、診察は始まった。その前に色々な質問事項の書かれた紙に答えを書いて、受付に出していたが、先生はそれを見ながら話を始めた。
診察室に入ってしばらくの間、どこかでバチバチものすごい音がしていた。何の音だろう。まるでコンビニの入り口に吊るしてある虫よけの機械に、虫がかかった時のような音だ。
最初のうち、先生と話していてもその音が気になって仕方がなかった。私の様子に気づいた先生が
「狭いところにモノがたくさんあるので、静電気が起きているんです。まあ、気にしないで下さい」
と言ってくれた。それからは、その音はしなくなった。
それにしても、あの音は何だったのだろう。そこだけ少し空いていた私の左前方の空間辺りから、音は聞こえていたような気がするのだが、何もしていなくても静電気というのは起きるものなのだろうか。
ひょっとして、私があまりにも緊張していたので、その感情が狭い部屋の中で暴れていたのではないかと思ってしまった。

今日は特にこれといった診断はされなかった。ただ、これまでの状況を離婚前に遡って話していた時に、それは自律神経失調症の症状ですね、と言われただけだ。
抗うつ剤と精神安定剤と睡眠薬を処方されてきた。うつ病ではないけれど、今の精神状態を上向きにするために、少しの間飲んでみましょうと言われた。
殆ど愚痴に近い私の話を、先生は1時間もかけて聞いてくれた。あまり身近な人には却って話しづらいこともあるので、日常では私との接点がなく、しかも専門家の人に話を聞いてもらえた事は、とてもいい事だった。
こんな事なら、もっと早く受診すれば良かったと思う。(そうすれば胃液検査で苦しむこともなかったのにぃ)
結核などの検査結果はまだ出ていないが、99%ないだろうと今は思っている。
精神的な疲れから確かに免疫機能は落ちていたのだと思うが、今までの私の症状は、身体の病気ではなく心が発したSOSだったのだと思う。
色々な人に心配をかけてしまったけれど、心療内科を受診して、とても気持ちが楽になってきた。
しばらくは通院することになる。焦らずにこれまで心に溜めこんだ重たい石を、ひとつずつ取り除く作業をして行こうと思っている。

と、今日はかなり真面目な内容になってしまったが、実をいうと土曜日に私は徹夜をした。
何故かと言うと、ふと思いついて小説のようなモノを書いていたのだ。
だって、ホレ、結核と言えば文豪だろ〜〜ってな。
本人にも、どこまで真面目に?病気なのか判らないのであった。(それがもう、ほとんどビョーキだっての)


9月25日(土) とほほ…の胃液の採集

前回のツベルクリン反応で陽性になったため、今度は胃液の検査をすることになった。胃液の中に結核菌がないかどうかを調べるのだ。
だが、ツベルクリンでの陽性と言うのはよくある事らしい。私の場合、1.8×2.8ほどに赤く腫れていたので、少し強めの反応だと言うことだった。が、医者はレントゲンがシロだったので、首を傾げていた。
正真正銘?の結核患者はツベルクリンをすると、もっとドバッと赤く腫れるそうだ。私の場合、微熱が続いていると言う点だけが、疑わしいらしい。と、言うより医者はその点だけが気になっているらしい。あちこち痛いって言っても、聞いてないじゃないか〜。
「だるいとか、ありますか?」とセンセイ。
「ハイ、二ヶ月も熱が続いてますから。ダルイです」
「食欲とかは?」
「無くなってきましたネ」だ〜か〜らぁ。二ヶ月も熱が続けば誰だって、そうなるだろうがや。
それでとりあえず胃液の検査してみましょうと言うことになったのだ。他にする事もないから、ま、念のためにやっておきましょう、と言う感じ。

昨夜の8時以降、何も食べては(水も!)いけないと言うお達しを忠実に守った私は、指定された検査時間に病院へ行った。すぐに呼ばれて検査のための部屋にでも行くのかと思ったら、30分くらい待たされて、空いている診察室へ呼ばれた。
そこに居たのはビニールの管や注射器などがビニール袋に個別包装された『胃液採集セット』を持った若い看護婦サンひとり。イヤ〜な予感がする。
男性患者なら若い看護婦に喜ぶところだろうが、私は、一瞬目の前が暗くなった。数居る看護婦の中でも、研修終えたてのようなヒトを、よりによって・・・(泣)
彼女は鷲掴みにして持って来た『胃液採集セット一式』をどさっと無造作に机の上に乗せると
「それじゃ、この丸イスに座ってもらいましょうか〜」と、診察の時に座る椅子を指差した。あ、コレ?ここで取るの?
若い看護婦はビニールの管を袋から取り出すと、その破った袋の上に透明なクリームのようなものをチューブから出している。・・・ははぁ、管の通りを良くするためのゼリーだな。不味そう…と、思いながら若い看護婦の手元を見ていると、私の第六感がズバリ敵中したような声が・・・
「管は何センチくらい入れるんでしたっけ?」年配の看護婦サンの声だった。
「え〜と、50センチから、55センチという処です」えっ!?まさか、初めてやるワケでは・・・
「そうね、それから・・・」年配看護婦の指導は続いている。
そんなコト言ってないで、アナタやってくれたらいいじゃないのォ〜。

「それじゃ、入れます」若い看護婦は、いきなり私の鼻の穴に管を差し込んで来た。うっ、ぐぐ・・・。
「喉のところに来たら、ごっくんして下さ〜い。はい、ごっくん」言われた通りにするしかない。目をつぶって、ごっくん!
意外とすんなり管は喉を通り過ぎて行った。なぁ〜んだ、案ずるより生むが易しだったナ。これで後は注射器で胃液を吸い出すだけだ。と、安心したのもつかの間、また年配看護婦の声。
「アナタ、何しているの?」これは、若い看護婦に言っているらしい。恐る恐る目を開けた。
私の鼻の穴から出た管を、その若い看護婦は捻って、丸めていた。
「あ、ちょっと注射器とサイズが合わなくて〜」持って来た注射器の穴と管のサイズが合わなかったらしい。とりあえず丸めて胃液が出ないようにしよう、と彼女は考えたらしい。
「そんなコトしてないで、患者さんに持っていて貰って」と言って年配の看護婦は私にその管を持たせた。
「早く代わりの注射器を取ってきなさい」

診察室には、私ひとりが取り残された。横一列にカーテンと間仕切りで5部屋ほどに区切られた診察室の奥は、看護婦や病院関係者が通り抜ける通路になっている。
鼻から管を垂らし、その先端を右手で掴んだ姿でぼけっと座っている私を、チラッと見て通り過ぎる人もあり、いと、あはれ。
管が喉に入っているので、つばを飲みこむのも違和感がある。はぁはぁ口で息をしたり、鼻から深呼吸をしたりして待っているのだが、若い看護婦はなかなか戻ってこない。段々、息が苦しくなってくる。
何処へ行ってしまったんだ〜。看護婦さぁ〜ん。もう10分以上待たされている。たかが10分、されど10分。鼻から管を入れて待つ10分は長いぞォ〜。
ようやく若い看護婦が戻ってきた。さて、今度こそ胃液を…と管を彼女に渡すと、ぽろり!管が抜けた〜〜(泣)
そこへいつの間にか来ていた年配の看護婦が
「アナタ、今まで何していたの!」
「あ、ハイ。途中で○×の患者さんがいたので、その人を・・・」別の用事をしていたらしい・・・
「そんな事していたらダメ!今は手が放せませんと言って来てしまっていいのよ。こっちの患者さんが、ホラこんなに待たされて可哀想でしょ」
そうだ、そうだ!だったら最初からベテランの人がやってくれよぉ〜。

もう一度、管を入れるところからやり直しになってしまった。さっきと同じ左の鼻の穴に管が差しこまれた。い、痛てぇ〜。喉の処へ来ても、さっきのように飲みこめない。オエッ!!
「スミマセン、鼻かんでもいいですか・・・」自分のティッシュで鼻をかむ。ついでに涙も拭く。
「それじゃ、口から入れてもらいましょうか」と、年配看護婦。
途中まで入れると、吐き気がして飲み込めない。さっき管を入れて待っている時に、横になっているように言われてベットに寝たら気持ちが悪くなってしまったのだ。
「スミマセンけど、右の鼻からやってくらはい」
すったもんだの末、ようやく胃液採集は終ったのであった。

病院の 真白きベッドの その上で
我泣き濡れて 管と 戯る

お陰で鼻の穴の通りだけは、異常に良くなった。って言うより、まだ痛いよぅ〜。今、私の鼻の中にはハナクソひとつ無いね!
検査の結果は来週判る。


9月24日(金) 馬並み

夕飯の支度をしている私の横へ来て、ジロが言った。

「お母さん、馬並みってどういうこと?」ぬわにィをォ〜!?
アンタは一体、どこでそういう言葉を覚えてくるんだ。
「そ、そんなことを言うもんじゃありません!」
「どうして?ねぇ、馬並みって何のことォ?」
「・・・そんなこと、外で言ったら絶対ダメだからね」
「何で?ねぇ、どうして?」
「どうしてって…言ってはいけない言葉なのよぅ!」
「どうして言ったら、いけないの?」
「それはねぇ〜!それはね、Hなコトなの〜!!」
「じゃ、言わない。・・・で、馬並みってどういう意味?」
「あのねぇ・・・大人になれば判ることよ」
「教えてくれないと大声で言っちゃうから。う・ま・な・み!って」
「そんな事したら、他人のフリしちゃうもんね」
「教えてくれないと言っちゃうぞぉ」ええ加減にせぇよォ〜。
思わず「チン…」と、言いかけたが止めておいた。
それにしても、ほんとうに何処で聞いてきたんだ?ジロ・・・


9月22日(水) ツベルクリン判定

どうも辛気臭い話が続いてしまうが、まさかほんとうに結核の可能性があるとは思わなかったので日記にも書いてしまった。途中で「し〜ん」とするのも読んでいる人にとっては気になるところだろうナ。(んなことは、ないか)
と言うことで、続きを書いて行こうと思う。

今日病院でツベルクリン検査の結果を判定してもらった。結果を聞く前から素人の私にでも判るくらい赤くなっていたので、有罪判決を聞くために法廷へ連行される殺人犯のような気分だった。
と言うのは嘘で、結核などで死ぬ人は今どき、めったにいやしないのだから、病名が判れば治療も出来るし楽になる。早く結果が決まって堂々と?結核患者として名乗りを上げたい!
そ、それに!これでPTA役員も辞められかも知れないぞォと、調子のいい考えがムクムクと頭をもたげていた。

ところが、どっこい。陽性であることに間違いないが、それでも即、結核と診断することは出来ないと言う。更に、結核菌を検出する検査があるのだそうだ。確かに菌が見つからないことには、仕方ない。
続いて検査を・・・と言われるのかと思ったら、今度の土曜日にすると言う。なんだよ、一度に済まないのか〜。
(ここからは汚い話になります。ごめん)検査は痰と胃液を取って調べるのだそうだ。痰を取るためのスポイト付き試験管(プラスチック製)のようなもの3本を渡された。
・・・これに取れってか。3回もォ〜〜(T_T)
自慢じゃないけど、私は今まで痰なんて吐き出したことはな〜い!だって、気持ち悪いじゃん。つうことは、飲みこんでいるってコトだけど、それも汚い話だナ。
それより気になるのは「胃液を取る」と言う先生のひと言。ど、ど、どうやって取るんだすか?
「鼻から管を入れて、取りますからね」ふぇ〜、良かった。口から無理矢理吐かされるのかと思ったよぅ・・・だけど鼻から管入れるってのも、痛そうだ。
「当日は何も食べないで来てくださいね。食べ物が胃の中に入っていると…ですから」あ〜、ハイ。ごもっとも。
後で『検査を受ける時の注意』と言う紙を見たら、前日は夜8時までに食事を済ませ、検査までの間、水も飲んではいけないと書いてある。そんなぁ〜。ドラえも〜ん!!
まぁ、胃カメラ飲むことを考えたら、まだマシか・・・ダイエットにもなるかも知れない。
私の結核判定まで、後○○日・・・


9月20日(月) おしっこの日

今日、病院へ行った。先日受けた血液検査の結果を聞くためだ。
午後の診療が始まる30分前には行っていたのに、1時間待たされてやっと中待合室に呼ばれた。中待合室に呼ばれたからと言って安心してはいけない。カーテンで仕切られた診察室へ呼ばれるのに、更に30分待ち、などというのは当たり前ったら、へのカッパ〜〜の病院なのだから。
ぼんやり待合室の中を見渡していると、壁に一枚の大きなポスターが貼ってあるのに気がついた。何ともインパクトのあるポスターである。そこにはデカデカと
県民(埼玉だ〜)『おしっこの日』と書いてある。しかも、すでに期限切れ?なのに、まだ貼ってある。
9月15日敬老の日が、埼玉では『おしっこの日』だったとは、38年と半年余りの埼玉県民生活で初めて知った。
それだけでもぶっ飛ぶが、その大書きされた『おしっこの日』の下には、更に我が眼を疑うような衝撃のひと言が〜!!
おしっこが気になる人は おしっこくださいと、きたもんだ。
誰に渡せばいいの〜。おせぇて〜・・・オイオイ、そう言う問題でなくてさ。
が、マナコを擦ってよく見ると『おしっこが気になる人は おこしください』だった。ふぅ〜意味もなくホッしたぜ。

そんなひと騒動が(自分で勝手に勘違いしただけだってば)あって、しばらく後やっと診察室に呼ばれた。先週とは違う先生だ。
「う〜ん、血液検査の結果ねぇ・・・何でもないですよ〜」
「せ、先生。いいんです、隠さないでも。ハッキリおしゃって下さい。覚悟は出来ていますぅ」
「あん?ナニ言ってんの、あんた。ホレ、この通り。ど〜こも異常はないもんね」
「それじゃ〜この熱は一体ぜんたい何だってぇんだい。ヤイ!神妙に白状しろィ!!」

なんてぇ、やり取りの後で、結局もう一度検査をしましょう、という事になった。ツベルクリン検査なんて、小学生以来ではないかしらん。看護婦さんに、
「この辺り、触らないようにして下さいね〜」と、注射をした周りに点々とボールペンで輪を描かれた。それくらい見りゃ判るけどね。それに、もう一回血も採られた。
献血さえ出来なかった血の薄い私から、1週間で2度も血を抜くとは、いい根性しているじゃ〜ないのさ。
とにかく、頼むから早く原因めっけてね。祈るような気持ちで病院を後にしたのであった。


9月19日(日) 運動会

昨日は子供たちの学校の運動会だった。弁当を作らなければならないので、6時に起きるつもりでいたのだが、何故か夜中の3時半に目が覚めて、トイレへ行った。…トイレが近いのも、トシのせい?
窓の外を見ると、しとしとと雨が降っている。ひょっとして延期?体調がいまいちなので、延期だったら助かるナ、と言う思いが頭を掠めた。朝6時、外を見ると限りなく雨になりそうな天気だが、それでも降ってはいない。仕方なく、弁当を作るために起き出した・・・

今年はタロにとっては、小学生最後の運動会である。ここの学校では、1年から6年までを紅白に分けて勝敗を競うのが恒例になっている。クラス内でも赤と白に分かれるので、子供たちの間では結構、闘志を燃やしているらしい。
今年もタロとジロは紅白に分かれてしまった。だが、タロは今まで優勝経験が少ないので、最後の年くらいは勝たせてやりたいと、密かに私は思っていた。
学年によって毎年、やることは決まっている。6年生になると、組体操や鼓笛隊など、高学年らしい競技などがある。そして、競技の手伝いも6年生はやることになっているので、タロの出番も多いのだ。
徒競走など、運動に関してはタロは苦手な方なので、勝敗はあまり拘らないで応援するのみである。男の子の親なら(特に母親は?)運動会で我が子が活躍するのを見てみたいと願うのだが、2歳から喘息を患っていたタロに、そこまで期待するのは酷な話だ。
幼稚園の運動会は、退院したばかりで見学だったことを思えば、元気に参加できるだけでもよしとしなければならない。そんな感慨に浸ってタロの姿を見ていたら、鼓笛隊でその他大勢の中で笛を吹いていただけなのに、目頭が熱くなってしまった。帰宅してから、タロにその事を話したら
「卒業式で、泣かないでよ」とクギを刺されてしまったが、泣いてしまうだろうな〜。

ジロは、普段は活発なくせに団体競技が苦手と言うのか、運動会などではあまりハッスルしない奴で、こっちとしては面白くないのだが、80メートル走では、なんとか一等賞を取れた。それにしても、今どきの子供は闘争心に欠ける。
きょろきょろ、隣の子を見たりしながら走るのだ。相手の速度に合わせているのではないかと思うくらい、にこにこしたりして走っている。
ばかもん!負けるんじゃないぞ〜。などと親の方が熱くなって応援しているのである。
応援疲れか?ぐったりして帰宅したのであった。


9月14日(火) 熱

何にでも熱し易く冷め易いのが私の悪い癖なのだが、今回はなかなか熱が退かない。って、それは病気だっちゅうの。
何だか熱いぞ、残暑も厳しいからなぁ・・・と思っていたけど、考えたら冷房の効いている会社の中でパソコンに向かっているだけで熱が出るわけなかった。
つい先日も中学教師が結核に罹っているのに気がつかず、生徒父兄などに感染したと新聞に出ていたが、私の症状は結核に似ているかも知れない。病院にも『今、日本では一日100人の人が結核に罹っています』などというポスターが貼ってあった。ドキリとさせてくれるよ。
それでも何となく、今の時代にけっかくぅ〜?と思ってしまうのだが。
咳はそれほど出ない。タバコを吸うから、たまには出るが、その程度。レントゲンも一応はパスした。だけど
「レントゲンに写らないこともありますからね、様子を見てMRIで検査した方がいいかも知れませんねぇ」などと医者は脅かす。
自称文学少女だった私には『結核』と言うとなんとなく『サナトリウム』とか、『文豪が必ず罹る病気』なんて言うイメージが沸いてしまう。今なら『リングの貞子』とか・・・。
しかし、実を言うと私の母が結核で死にかけたことがあるから、ヤバイかも知れないと内心思った。
だって入院したら、タバコが吸えないじゃないか〜。オイオイ・・・
それに、もし結核が進行していて入院したら、下着は着けちゃいけないのよ。それは美人薄命・・・美人履くめぇ・・・

「・・・う〜ん、熱でかなり頭にきてますなぁ」気がつくとベットの上の私を見て、医者がそう呟いていた。なんちゃって。

この通り、頭は壊れているけど元気であります。

9月13日(月) 病院ギライ

病院なんかが好きな人はあまりいないだろうが、私の家の近くには総合病院がひとつあるだけなので、風邪をひいても怪我をしても、そこを利用するしかない。その病院はとにかく待ち時間が長いことで有名だ。
今日も、仕事が終ってから夜の診療へ行った。7月から、毎日というわけでもないのだが微熱が続いていた。最近おさまったかに見えたのだが、土曜の資源回収から帰ってきてから、また微熱が続いている。
疲れとストレスから来ていることは本人の私が一番判っていることなのだが、万が一という事もあるので、診てもらうことにしたのだ。今日は案外空いていて、30分ほど待っただけで名前を呼ばれた。
症状を話すと、聴診器を当てられて、首のリンパ腺を診て、次は足の付け根のリンパ腺を診るからベットに寝るように言われた。えっ?足の付け根ってコトは・・・幸いパンツまでは脱がずに済んだ。(当たり前だ〜)
尿検査とレントゲンと血液検査をして、締めて7,420円也。おいお〜い!!熱が余計に上がっちまうだろ〜が。
トホホ・・・すきっ腹と軽くなった財布を抱えて帰ってきた。だから病院なんてキライなんだ。
検査の結果は、とりあえず1週間後だそうだ。それまで財布の中身がもつか心配である。それを考えたら、また熱が・・・


9月4日(土) 地区長の苦悩

今、SMAPのアルバムを聴きながら日記を書いている。う〜ん、筆の運びもいつになくイイ感じ♪
なんて呑気なコトを言っているが今日は結構大変な一日だった。新学期が始まったとたんにPTAの役員会も始まったのだ。午前10時、学校の会議室に本部、学年、地区などの役員と学校側役員(校長と教頭)が集まった。
私は今住んでいる地区の地区委員長なるものをやっている。言っておくけど、好きでやっているのではないし、まして人望があって選ばれたわけでもない。ただ、くじ引きで当たってしまっただけのことである。
議題は18日に行われる運動会と11月に行われるバザーの役割分担についてが主だった。会議自体は1時間ほどで終ったのだが私の仕事は終らない。来年度の新入学児童へ運動会招待の手紙と、就学時健康診断のお知らせを届けなくてはならないのだ。
8月いっぱい掛かって回覧を廻し、新入学児童の名前などを調べて表に書き出して学校へ提出したのだが、教育委員会か、どこかから来た資料を元に書き足したという用紙を学校から渡された。なぁ〜にぃ〜!ちゃんと資料が来るのなら、わざわざ夏のクソ暑い時期に調べさせたのは一体何だったのだ〜!!
・・・かなりムッとしたが、心の叫びだけに留めておいた。

学校から配布された手紙を封筒に入れて保護者の名前を書き込み封をして配布の準備をする。会社でコピーしてきた地区の地図を見て住所を頼りに一軒ずつ印をつけ、自転車に乗って届けて廻る。顔見知りとは話しこんだりするから時間が掛かってしまった。
帰ってから学校へ配布状況を知らせる手紙を書く。こんな面倒な事をするのも、うちの地区内の空き地(広場だった)に新築住宅が30戸近く建って、8月からぽつぽつ入居が始まっているからである。
ど〜んと建って一度に越してきてくれればいいのだが、まだ未完成の家が半分くらいある。だが、住民票だけは先に移している人もいるらしく、一軒ずつ表札を確かめているのだが学校から知らせが来た新入生らしい家の名前が見当たらなかったりするのだ。
何度もまだ業者のトラックや建築資材がゴロゴロしている道を行ったり来たりしたが、無駄足だった。(泣)
知り合いに会うたびに「悪い時に役員になっちゃったわねぇ〜」と同情されるが
「同情するなら金をくれ〜!」・・・ふ、古い。

さて、これで終りかというと、まだある。(号泣)
今度は例の新築住宅に近く越してくるとタレコミがあったホシの家へ電話をする。
「もしもし?Sさんのお宅ですか?私、6年1組でお世話になってますタロの母です〜」ホシはタロの同級生である。
「実は、私△地区の地区長をしているのですが、来週うちの地区に越していらっしゃると伺ったのですが…」
「えぇ、そうですけど」ホシはあっさりゲロを吐いた。(オイオイ・・・いつまでやってる)
電話をしたのはSさんの家の子供に「引越したばかりで申し訳ないが最上級生はSくんひとりなので班長をやってもらえないか?」と因果を含めるためだったのである。
その他、諸々の学校関係の用事を済ませるとすでに午後4時過ぎ・・・一日終っちゃったじゃないのよ〜
あ〜くじ運が悪いばっかりに(イヤ、本当は私がアタリを引いたワケじゃないのだが)総体運が悪いというのか・・・あと半年余り、地区長から解放されるまで私の苦悩(苦労)は続くのであった。


9月2日(木) 水もしたたる・・・?

タロは最近釣りをするようになった。昨日も友達と2,3キロ離れた処にある池で釣りをしてきた。
昼に帰ってくると、今日も約束をしていると言う。だが、今日は天気予報では雨が降ると言っていたので、様子を見て降りそうだったら、止めなさいよと言って私は仕事へ出掛けた。
友達と約束をした午後2時近く。会社の窓から外を見ると、薄黒い雲が広がり始めている。どうしただろう、止めただろうか・・・何度となく窓の外を気にしていたが、2時半近くになって雨が降ってきた。そして、3時前、会社の電話が鳴った。タロだった。
「お母さん、雨が降ってきちゃった。どうしたらいい?」どうしたらいいと言われても、離れていてはどうしようもないではないか。今、どこにいるのかと聞くと、商店街で雨宿りをしていると言う。
「カッパがあるでしょ、それを着なさい。そして、自転車を転がしながら帰っておいで」
「でも、友達はカッパ持ってないよ」そこまで面倒みられるか〜!
「あのねぇ・・・」ブーっと音がして電話は切れた。PHSを持たせていたのに公衆電話からかけてきたらしい。
しばらくして家へ様子を見に帰ってみると、まだ帰宅していなかったのでPHSに電話をしてみた。
「あんた、今どこにいるの?」
「あ〜、雨がやんだから釣りに来ているの」オイオイ(-_-;)
「今日はずっとこんな天気なのよ。また降ってきたらどうするの?」
「大丈夫だよ〜」このやろう、さっきは雨が降ったくらいで泣きべそかいて電話してきたくせして〜!
「あ〜そう!それじゃあ自分の責任でやってなさいよ。雨が降ってきたくらいで会社へ電話なんかしないでね。お母さんは迎えになんて行かれないんだからね」ムカ〜っとして、そう言って電話を切ってしまった。

午後5時、仕事が終った。外へ出るなり雨がポツンと落ちてきた。だが、さすがにもう帰っているだろうと思って家に着くとタロはまだ帰っていなかった。着替えをしている間に、雨はザーザー音を立てて降ってきた。
だから言わんこっちゃない!空模様を見て、少しは考えろよな〜、タロ!
どっちにしろ5時を過ぎたから、家へ向かっている最中だろう。自転車で行っているので雨に慌てて走っている時にやたらと電話をするのもまずいかと思い、しばらく帰るのを待つことにした。30分ほどで雨も小降りになってきた。
ジロの友達が家に来ていたので雨が止みかけた頃に、その子のお母さんが迎えにきた。その人とタロの話をしている処へずぶ濡れになったタロが帰ってきた。私達の顔を見て、にへら〜と笑っている。
「お帰り〜♪」私もわざと、にへら〜と笑って迎えてやった。
男の子というのは、こういう経験をして大きくなるものなのだろうが、親は心臓に毛でも生やしていないとやっていられない。

そうそう、8月31日の日記に「今世紀最後の夏休み」と書いたら、今世紀は来年までだと言う指摘を受けた。
そうか〜、そうだったのか〜。またひとつ、おりこうになった。日記なので直さないけど、一応訂正しておきます。