うすば蛉蜻日記

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8月31日(火) 彩の国から? ’99夏

今日で今世紀最後の子供たちの夏休みが終る。(ちょっと大袈裟過ぎる?)約40日間の休みは、なんと長かったことか。
出だしは良かった。毎朝早く起きて、散歩をしようね。朝のうちに宿題も済ませようね・・・続いたのは最初の1週間だけだった。(泣)
まず私が夏バテをして、起きられなくなってしまったのだが、今年の夏は久しぶりに酷暑だったのだから仕方ない。と、言うことにしておこう。
タロ、ジロ共に家にいる夏休みは実は今年が始めてだった。去年までジロは、学童保育室へ通っていた。だから夏休みも比較的私は安心して仕事へ出ることが出来た。しかし、学童にいた男の子がひとり辞め、ふたり辞めして行くと遊び友達がいなくなってしまい、ジロも辞めたいと言い出した。
私も学童を辞めれば役員をやらなければならない組織からひとつ抜け出せると言う下心もあって、去年の秋に学童を辞めさせたのだった。
というわけで、今年の夏休みは心配の連続だった。が、ふたりとも事故に遭うこともなく、過ごせたのは何よりだったと思う。
子供たちには夏休みの旅行も今年はなしで、少し淋しい思いをさせたかも知れない。本当にこれと言ったこともなく終ってしまった。先ほどの言葉とは矛盾しているが、終ってみると、あっと言う間だったような気がする。
今もタロは宿題をやっている最中だし、ジロに至っては宿題そのものを持ちかえるのを忘れたりして、この40日間をずいぶんと無駄に過ごしてしまったような気もする。というか、無駄だった。(-_-;)

夏休みの間にふたりに何か成長の跡が見えただろうかと改めて考えてみる。
タロは、珍しく学校のプールにほぼ全部(と言っても4,5回)通ったので日焼けをした。泳ぎはあまり進歩していないようだが、喘息持ちのタロが元気にプールへ行ったり、日に焼けて健康そうに見えるだけで、母としては嬉しいのだ。
ジロは、相変わらず甘ったれで泣き虫だが、身体の方の発達はタロを追い越す勢いだ。先日、靴を買いに行ったら22センチの靴で丁度いいと言う。私が22.5センチだというのに(タロだって、同じくらいだ)ホンマかいな。成長するのは嬉しいことだが、タロが追い越されそうなのが心配な母であった。

日記を再開したものの、なかなか更新する時間がとれない。と言うのもワタクシ38にして、簿記の検定を受けようなどと言う大それた(?)事を考えて、今勉強中なのである。
直接のきっかけは転職を考えて経理事務員募集と言うのに応募したのだが、あっさり断られた。経理など出来ないのだから当たり前の話だ。申し込む方が図々しいというものである。
ただ、これから再就職をするにしても私には力仕事は出来そうもない。それに年齢的なこともある。中年でも出来るデスクワークといえば、事務系しかないだろう。そうなると、やはり簿記などの特技(技術か?)のひとつもなければ厳しいぞ、と今頃気がつく呑気やつなのだが、とにかく気がついて良かった♪と、あくまでも前向きに考えるヒトなので、それではひとつ簿記などを勉強してみるか、と考えた次第。
簡単に「簿記でも・・・」などと言ってはみたものの、数字は大の苦手だ。数字を見ただけでアレルギーが出るほど(ウソだけど、そんな気分になる事は確か)数字関係には苦手意識がある。その上、ボケも始まっているのではないかと疑いたくなるほどの最近の物忘れの激しさ。だが、生きていくためには弱音を吐いてはいられない。
こうして老骨にムチ打っての勉強が始まった。・・・まだ、1週間くらいしか経っていないのだが。
こうして日記にも書いてしまった以上は、何としても資格を取らなければならないなぁ・・・書かなきゃ良かったかなぁ。と、つい弱気になってしまうが、頑張ってせめて日商簿記3級までは取りたいと思っている。
今は朝と夜、大体2時間ずつを勉強の時間に充てている。そんな訳で、HPの更新もままらなくなった。・・・ちょっと言い訳がましいが、ひとつの事に気を取られると他に手が廻らなく不器用なタチなので、お許し下さいな。

これが、今年の我が家の出来事だった。
♪るる〜るるるるる〜(『北の国から』風エンディング〜。そう言えば今年はやらなかったな、北の国から。純と蛍は元気にしているのか?)


8月25日(水) 骨美人

先日、とある場所で骨密度というのを測定する機会があった。時々、市の検診などで女性を対象にやっているようだがわざわざ保健所などへ行かなければならないので、今まで測定した事はなかった。
私の祖母は骨粗しょう症になったのが元で、寝たきりになり亡くなっているので骨については関心があった。骨租しょう症が遺伝するのか知らないが、私の骨は何となく脆そうな気がする。
それでなくても女性は閉経後、骨密度ががくんと下がるそうなので日頃からカルシウムは気をつけて摂るようにしなければならないと言う。私もそろそろ危ない年だし、自分の骨密度くらいは知っておきたいと思っていたので、測ってみたのだ。

骨密度を測定する機械と言うのは、裸足で乗らなくてはならない。足型の線の中に合わせて台の上に立つ。そして右足のかかとを嵌めこむような感じで測定器に入れる。それから年齢と性別を入力する。ここで年を誤魔化しては何にもならないわけだ。
スタートのスイッチを押すと、右足のかかとを小さなハンマーのようなものがコツ、コツ・・・と5回叩く。それで測定は終了である。こんなので本当に判るものなのかと思うが、骨の振動によって密度が測れる仕組みになっているらしい。やがて、機械から測定結果の紙が出てくる。
「骨美人度」「骨振動レベル」「運動と生活のアドバイス」という項目がある。
私の骨美人度はと言うと、AからEまでの五段階評価で、ナントDだった。しかし骨美人度などと言う判りづらい書き方ではなくて骨年齢とかにして欲しいね。このレベルで推測すると私の骨年齢は60代くらいになるのだろうか・・・や、やばい。
アドバイスには「カルシウムを積極的にとりましょう。日頃の日光浴、運動を心掛けて下さい」となっている。骨密度と言うのは、減ったら最後、増えないと聞いたことがあるがせめてこれ以上、減らさない努力をしなければならない。
しかし、日光浴と言ったって、昼間は会社にいるのだから結構難しい。運動だって、日光に当たらないと効果は少ないと言うし・・・それにしても、私は骨ブスだったんだなぁ。ちょっとショックだった。


8月23日(月) タロ・ジロの夏休み

今年の夏は暑かった。いや、まだ暑い!
夏バテはやや回復したものの、どうにも調子がでない。などと、再開のっけから弱気なことを言ってもいられない。しばらくタロ、ジロの話題がなかったので近況報告の意味も含めて、最近のタロ、ジロ話。

夏休みと言えば宿題である。が、最近の学校教育はなっとらん。宿題が殆どでない。様々な団体が募集するポスター成作だとか、作文などの公募の中から自分で二つ以上選んで、学校へ提出する。それが宿題の中心である。
つまり先生が自作したプリントもなければ、教科書のどこからどこまでを復習する事、という指示もない(やれと言わなきゃ、子供なんてやるわけがない)。こんな手抜きの宿題を出しているのは、うちの子供が通う学校だけなのだろうか。
よって、タロもジロも毎日、だらだら、ごろごろと無駄飯食い状態である。最初の頃は私の早起きも順調で、ふたりにドリルをやらせたり、家の手伝いを言いつけたりしていたが、私が調子を崩してからは文句を言う人間がいないのをいいことに、怠け放題なのだ。子供を怒鳴るにも体力がいる。

そして、夏休み終了まで、あと8日となった。タロもジロも課題どころが、歯磨きカレンダーも、ひと言日記も殆ど付けていないままである。ま、この怠け癖も私の子供たちだと言う証明のようなものだと私も開き直って、週末の二日で宿題をデッチ上げる算段をしている。

タロの場合
タロはこの30日近くの間、友達と遊んだのはたったの2日くらいである。あとは家でゲームをしたり、鉄道の本や漫画を読んで過ごしていた。私が仕事に行っているので留守番のつもりなのかと思って、外で遊ぶように言っても
「だって、外は暑いし〜、遊びたい友達もいないもん」と言って、とうとう今日まで来てしまった。
私が子供の頃は毎日外で誰かしらと遊んでいたものなのに。こいつ、そんなに人望がないのか?と心配になる。だが、見廻してみても外で遊んでいる子供というのは、本当に少ない。これも時代というものなのか。
それにしても、タロはますますオタクへの道を邁進しているとしか思えない。頼むから、鉄道オタクの飛行機オタクになんてならないでくれよ〜。

ジロの場合
ジロは前半は毎日遊び歩いていた。が、友達が家族旅行をする事が多くなり、遊び相手が減ってきてから家にいる事も多くなった。とはいえ、ジロの場合は安心できない。夕方近くになってふっと消えるのだ。この前もそうだった。
いつもより早く薄暗くなってきたかと思ったら、空には暗雲が立ち込め、遠くでは雷鳴が轟き始めていた。そんな時になってジロがいない事に気がついた。ジロは何処だ!?確かさっきまで家の前で遊んでいたのに。
慌てて近くの団地や公園を捜し歩く。蒸し暑い夏の夕方に汗だくになってジロを捜すのだが、見つからない。もしや、うちのジロちゃんは女の子のように可愛いいから、変態にさらわれたのではないか。と親ばか丸出しの心配が頭をよぎる。
公衆電話から家で待機のタロに電話を掛けている間に雷と共に雨が降り出してくる。あ〜、まったくあのクソガキ、どこへ行きやがった!とツノを生やして電話ボックスから出た私の目の前を、ジロが猛烈な勢いで自転車を飛ばしていく。
「ちょっと、ジロ!ジロォ〜!!」3回くらい怒鳴って、やっとジロがびくっとして振り向いた。
「あ、お母さん・・・」
「お母さんじゃないわよ。いったいこんな時間になってどこへ行っていたの!」と言っている間にも雨が激しくなってきたので、とりあえず家に帰るように言って私は歩いて戻ると、家の前でジロがしょんぼりと待っていた。
「遅くなって、ごめんなさい・・・」
「・・・早く家に入って、タオルで身体を拭きなさい」
私がもう怒っていないと見ると、とたんに元気になる。現金なやつだ。
「今ね、カズくんちでね、○×△って言うゲームをしていたんだ〜」オイオイ、母は心配していたのだぞ。

こうしてタロとジロの夏休みは暮れて行く。最後に地獄の宿題まとめが待っているとも知らないで・・・


8月9日(月) ある考察

私は常々考えていることがある。それは何かというと
『日本文化の衰退と便秘症の増加について』である。

昭和40年代以降に生まれた人にとっては「関係ないね」という一言で却下される話だと思うが、私が子供の頃は一般家庭でも駅やデパートのトイレも和式便所が普通だった(少なくとも私が生まれ育った埼玉では)。初めて洋式トイレに入ったのは、小学生の高学年頃だっただろうか。
笑い話のようだが、実際にどちら向きで致したらいいのか、しばし悩んだものである。

就職してひとり暮らしを始めた頃には、洋式トイレは珍しいものではなくなっていたが、私が住んでいた借家は和式トイレであった。そのトイレは正統派和式トイレだったので(いわゆるひとつのポットン便所である)しゃがむと足の下からプ〜ンと田舎の芳香剤が漂ってくる。
その香りを嗅ぐときちんと便意をもよおすのだが、どういうワケか綺麗な洋式トイレでは便意を感じて入っているにも関わらず、便意はすっと引いて行ってしまうのだ。行き慣れた親戚の家などでもそうなるので、知らない場所ゆえの緊張感だけではないはず。
「これは一体、どういう事か・・・」自宅のトイレに入るたびに私は考えた。そして、ひとつの結論に達したのである。
まず、大を致す時の体位である。これが洋式トイレでは単にイスに座るのと同じ体勢である。大をする時には腹に力を入れなければならない。が、イスに座った体勢では充分に腹に力を込めることができない。
特に私のように小柄な(足が短いとも言えるが)人は、洋式トイレに深く腰掛けてしまうと、つま先がやっと床に着くといった極めて不安定な状態で大をしなければならない憂き目にあうのである。これでは目的を達する前に戦意を失ってしまう。
次に、これが一番大切な点であると私は考えるわけだが、和式トイレの下から漂ってくる自分の(或いは自分のモノと同じような)香りによって、まず安心感を覚える。その安心感は脳細胞へと伝達される。更に、脳は『このニオイのある場所は大便を致してもいい場所である』という司令を腸に伝える。
そうして腸は安心して蠕動を始め、また、腸内のブツも仲間がたくさんいる事を知り、もぞもぞと仲間の中へ突入する準備を始めるのである。さすれば自然と水戸のご老公の気も緩むと言うわけだ。

いつしか駅のトイレやデパートのトイレはもとより、家庭のトイレに至っては過半数を優に超す勢いで洋式トイレが増えた。
トイレに入って洋式の便器を目にした時に、私たちはピカピカに磨かれ、綺麗な?水を満々と湛えた白い容器の中に、様々な色艶のブツを落とし、汚してもいいのだろうか?という罪の意識を無意識にでも持つことがないと言えるだろうか。
懐かしいニオイもない。ラベンダーやレモンの香りなぞが漂う中で、異色の香りを漂わせる事に抵抗はないだろうか〜?
と、言うわけで私が出した結論は
『日本人の便秘症は、後天的且つ西洋化の影響による潜在的違和感がもたらしたものである』
に、至ったのである。当然、それはDNAにも刻まれている。
ここまで真剣に読んでくれたアナタ、本当に済みませんね。
しかし、私は結構真面目に?こういうコトを考えたりしていたのも事実です。(~_~;)
今も、考え続けているのは
『何故、本屋に入ると便意を催すのか!?』という問題です。どなたか解明した人がいたら教えてくださいませ。


8月8日(日) 祭りの後

考えて見ると、私の日記は日記とは名ばかりであまりその日の出来事を書いていない。今更言うのもナンだけど。
毎日徒歩1分の会社に通い、従業員も4人しかいなくて、電話もあまり掛かって来ないし、来客もない会社なので日記に書くほどの事など何も起きない。私は一日の殆どの時間、パソコンの前にいるのでなおのこと面白い話しなんてないのだ。
それに年をとると最近のことより昔のことの方がよく覚えているもので、そうした思い出話を書いていると楽しかったりするので、ま、ヘンな日記だけどそれでもいいか、と自分では思っている。たまには日記らしい日記も書きますけどね。
今日は、朝9時から祭りの後片付けと慰労会があった。それを終えて帰ってくるとまた熱が少し上がっていたので、一日中寝ていた。でも、エアコン買って良かったな〜。よく眠ることができた。そんなわけで今日は書く事がまったくないので、昨日の祭りのことなどを少し書こう。

昨日、地区の納涼大会があった。私はPTAの役員として手伝い要員に駆り出されていた。
朝、8時から祭りの準備が始まる。今年はそれまで使っていた広場に建売住宅が建ってしまったため、自治会館脇の狭い駐車場と会館前の道路を一時閉鎖して(田舎なので通る車など殆どない)行うことになった。そのため準備も当日にやるしかないのだ。
体調を崩していたので寝坊をしてしまって、30分遅れで準備に向かった。雲が多かったが、時々ぱっと太陽が顔を出すと汗が噴出してくる。10時過ぎには終わったのでほっとしたが、立ちくらみがしそうでヤバかったのだ。

夕方、4時頃にひどい夕立があった。あ〜、せっかく飾り付けたちり紙で作った花飾りはどうなってしまっただろう。心配しつつ5時に会場へ行ってみると、しょぼしょぼになった花が竹竿に貼りついていた。あちゃ〜。
私たちPTAがお手伝いするのは盆踊りの曲紹介と育成会(子供会)の模擬店だ。放送の方はずっとテントの中に座っていられるのだが、私は去年育成会の役員をしていて模擬店もやったことがあったので、そちらの手伝いへ廻った。
模擬店開始は午後6時から。もう、結構子供たちが集まっている。今年は金魚すくいを新しく取り入れたのだが、意外と子供たちにウケて並んで待っている子もいる。子供って昔も今も、こうした催しが好きなのだなぁ、と思う。
タロとジロは母に連れられて親戚の家へ行っていたのだが、6時半頃になって帰ってきたと携帯に電話が入った。来る?というとタロだけが来たいと言う。ジロは具合でも悪いのかと思ったら、行きたい気分じゃない、と言っているという。
ジロは行く前から「今日は、なんだかイヤな事が起きそうだからいい」などと言っていたとタロは言う。ジロは案外物事を後向きに考える処があるのだ。まあ、見たいテレビでもあるのだろうと思って、タロだけ来させた。
タロはしばらく他の模擬店を廻ったりしていたが、私がやっているラムネ売りのところへ来て、頼みもしないのに手伝いを始めた。ラムネのびんを開けるのが面白そうだと思ったのか、張りきってやっていた。
私も他の人に「ラムネのふたを開けるの、上手ね〜」とおだてられて、いい気になっていたのだから親子揃って能天気に出来ている。ラムネを開けるのがうまいというのは、ラムネをこぼさずに開けることが出来るという意味なのだが。

祭りが終って、後片付けが少しあるのでタロを先に帰して9時半過ぎに帰宅すると、ジロが
「ママ〜、僕淋しかったよぅ」と言って抱き着いてきた。だから来れば良かったのに。お友達もたくさん来ていたわよ、と言うと
「僕も行かなかったことを後悔しているよ」と言う。おいおい、今頃になってそんな事を言ってもねぇ・・・
そんなジロを横目で見ながら、タロの顔には模擬店で大活躍した満足感が微かに浮かんで…いるわけないだろっつうの。


8月6日(金) 大ハード

昨日はタロが台風の影響で喘息が出て、午前中に薬をもらいに病院へ行った。処方箋を出してもらうのだ。
この病院が近くにあるのでここへ引っ越してくるのを決めたのだが、事務処理が遅くてしかもいい加減で困る。薬だけ欲しい時には欲しい薬の名前を書いた紙をつけて頼んだ事も何度かあるのだが、一度たりも希望通りに出してもらったことがないのだ。
診察を受けて出してもらった方が早いのかも知れないが、どちらにしても長時間待つことになり、具合が悪い時に行くとよけいに病気が悪くなる、という笑い話のような病院だ。
11時に行って『薬だけの人』という診察券入れに診察券を入れておいたのだが12時を過ぎても呼ばれないので昼食を取るために一旦家に帰った。

午後は市役所へ行く予定でいた。市役所には、児童扶養手当の現況届を出すために行くのだ。
児童扶養手当というのは、簡単に言うと収入の少ない母子家庭へ県から出される生活援助費用のようなものだ。申請は一度だがそれから毎年、現況届というのを出さなければならない。提出するものは、世帯全員の名前が載った住民票、それに前回交付された児童扶養手当証で、それに手当証に使用した印鑑がいる。
再婚したり、内縁関係の相手がいてもいけないのだ。もちろん、住民票は別でも生計を共にしている人が(親など)いても、申告しなければならない。ホントウに子供と母親だけで生活しているのかをチェックするわけだ。
この程度の届けをして、チェックが完全にできるのはどうかは疑わしいが。
この手続きをするため平日に仕事を抜け出して、しかも出張所ではなく必ず市役所へ出向かなければならない。

前回交付された児童扶養手当証を探し始めたのだが、見つからない。狭い家の中だ、仕舞ってある処は決まっている。
何でもとっておくから増える一方で、とても一ヶ所には収まり切れないため、書類関係は何ヶ所かに分散して収納してあるのだ。だが、そのどこをひっくり返してみても出てこない。そう言えば、前回扶養手当証が届いたのはいつだったろう。
そんなもの送られてきたかな?送るのを忘れていたのじゃないのか?私はもらっていないぞォ・・・
記憶にないことを、人のせいにしちゃいけないっつうの。
仕方ないので市役所へ電話をして、扶養手当証を紛失してしまったらしい、と言うと現況届を提出する時に窓口で言えばいいとの事なので安心した。
そんなことをしていたので30分も時間をロスしてしまった。だが後は、印鑑を持って市役所へ行けばいいだけである。
さて、印鑑はと・・・。また、見つからないよぅ〜。焦る、焦る。あの印鑑は実印なんだぞォ・・・
二階の押し入れの中に仕舞ってあるハンドバッグの中まで捜して、結局台所の物入れの中から印鑑を発見するのに、またしても30分くらい掛かってしまった。これだけの事をするのに、微熱があったので全身汗まみれ・・・
出掛けるのも億劫になったが、この手続きは我が家にとっては死活問題なので仕方ない。電車とバスを乗り継いで市役所に到着したのが3時過ぎ。住民票をとって福祉課へ行った。窓口で「すみません」と声をかけると女性の職員が席を立ってきた。
「児童扶養手当のことで来たのですけど」と市役所から送られてきた書類を手にして言うと
「あの〜、提出期間はですね・・・」と言われて指差された書類に目を落とすと、そこには『受付期間8月11日から31日』と書いてあった。

んが〜!!げごげご●△×◎・・・(T_T)

また、やってもうた。ドジ・・・
市役所の職員は気の毒そうに私を見て「大丈夫ですか?また来られますか?」と言ってくれたが、来られないと言ったって別に手続きを早めてくれるものではないのは、よ〜く判っているので
「はい・・・出直してきますぅ」萎れて受付に背を向けるしかないのであった。タロとジロには
「あ〜あ!何のために来たのか判らないじゃない」と文句を言われたが、返す言葉もなかった。面目ない・・・

昨日の悲劇はそれだけに留まらなかった。
帰宅後すぐに病院へ処方箋を取りに行くと、案の定違う薬の名前が記載されているので別の薬が欲しいと言うと、この病院の事務員の中でも一番恐いオバサンに、ジロリと睨まれて
「こんな薬は出していませんよ」と、ニベもない返事。気の弱い私は、それだけでへどもどしてしまって
「いえ、確かに出して頂いているはずなんです。あの、台風が来てるから、最近、調子が悪くて・・・」と、いきなり説明を始めたのだが、彼女は、あんたナニ言ってんの?という顔をして
「台風って、別にどこかに出掛けるわけではないでしょ?」と、まったく話しがかみ合わない。
「いえ、ですから・・・低気圧がくると喘息が出るというワケでして・・・」あ〜!どうにでもしてくれ〜。
それでも事務員サンは、それでは古いカルテにあるかも知れない。だけど、診察を受けないとその薬は出せないから6時からの診察を受けるように、と妥協案?を出してくれたのでホッとして、
「すみません。よろしくお願いします〜」と、愛想笑いまでする低姿勢。
家にいたタロを電話呼び出して待合室で待っていた。
1時間近く待たされて診察は1分・・・医者はあっさり
「あ〜、ベネトリンね、前にも出してるよね。じゃ、出しとくから」それだけで、ハイ、診察一丁あがり。
隣の薬局で薬をもらって家に帰ったのは午後7時を過ぎていた。腹減った〜。
・・・まったく昨日は疲れた一日だった。これがホントの大(ダイ)ハード・・・なんちゃって。


8月4日(水) 技アリ!

20年以上前になるだろうか。日本テレビが夏休みにスクスクスクールと言うのを主催していた。それに小学生だった妹が参加したことがあった。どこかの田舎町に、今で言う山村留学のようなことをしてくるのだ。
妹が帰ってくる日、市ケ谷の日本テレビまで母と迎えに行った。ちょうど昼食時だったので、日本テレビの側の定食屋に入った。昼時なのに、客は私と母しかいない。クーラーもあまりきいていない店内は座っているだけで汗が出る。そのせいで不機嫌になっているのか注文を取りにきたオバサンは、とても無愛想な人だった。
私はその頃、外食と言うとカツ丼ばかり食べていた。それでその時も迷わずカツ丼を注文した。
暫くすると、カツ丼がやってきた。どすん!オバサンがテーブルにカツ丼を置く。店の中はし〜んとしていて、どうも居心地が良くないのだが、腹が減っては戦はできぬ。
最初に一番端のカツから食べ始めた。衣がカリッとして美味しい。だが「ん?・・・」衣は美味しいけど、肉は?肉が入ってない。
まあ、家で作っても卵をかけた後には時々肉が抜けてしまう事がある。次のカツには入っているだろう。気を取りなおしてもう一切れ食べてみる。
・・・やっぱし、入ってないぞ。これは、カツ丼だよね。そう注文したよね。「肉抜きで」なんて言ってないよね〜!?
とうとう最後のカツにも肉は入っていなかった。しかし、衣にはちゃんと隙間が開いていて、確かにかつてはそこに肉が入っていた痕跡が残っているのだ。いつ、如何なる段階で肉は抜け落ちたのか!?
もし、わざとそうしたとしたら、カツから肉だけ抜いて見た目は入っているように見せるなどと言う技はそう簡単にできるものではない。オ、オヤジ〜(調理人)、おぬし出来るナ・・・。
腹は立ったが、あまりに見事な肉抜きの技に一本取られた。お見事としか言いようがない。が、最後まで納得がいかないまま、店を後にしたのだった。


8月3日(火) ヘンなもの収集家

私は貧乏症のせいか何でも取っておく癖がある。スーパーのビニール袋はもとより、紙袋、ひも、コードなどが束ねてあったビニール線(中に針金の入ったもの)、それに電気料金などの領収書関係。何年分も溜まっているので、それだけでも場所を取る。
年に一度くらい整理するのだが、結局大半を取っておくことになるのであまり減ることはない。
こんな私には、小さい頃からちょっとヘンな収集癖があった。

子供の頃、学校では時々大流行する遊びがあった。そのひとつがお酒のフタで戦うと言う遊びだった。今はどうなっているのか判らないが、昔の日本酒のフタは丸くて平たいアルミのようなものの下に栓をするためのコルクが付いていた。そのコルクの部分を取って、上の丸い部分だけを使い、フタの縁を利用して相手のフタに引っ掛け、ひっくり返す。ひっくり返された方の負けである。今にして思うと単純な遊びだが、それが休み時間に大流行をした。
どこそこのメーカーのフタが強い、という噂が広まって、酒屋の外に積まれた使用済みの日本酒の瓶から軒並みフタがなくなってしまい、とうとう学校で『日本酒のフタ遊び禁止令』が出されたほどだった。私はこの遊びがめっぽう強かった。ずいぶん戦利品を集めたものだったが、どこへやってしまったのだろう。
学校の帰り道には、よく石蹴りをしながら帰った。どこまで蹴り続けられるか、密かに楽しんでいた。案外家まで蹴りながら帰れることは少ないのだ。草むらへ入ってしまったり、ドブに落っこちてしまったりして失くしてしまう事が多かった。そうやって無事に家まで持って帰ることが出来た石っころは大きなガラス瓶に入れて、大切にとっておいた。
ただの石っころなのだが、家に着く頃にはとても愛着がわいてしまい、捨てられなかった。だからと言って、別にその石を瓶から取り出してまで、石蹴りをしようとはしなかった。だから、どんどん貯まる一方であった。

そして、今思い返しても、どうしてあんなモノを集めたのかさっぱり判らないものがある。それは、古くなった雑巾の切れ端だ。
学校で使う雑巾は、今ではタオルを使ったものが殆どだが、昔は浴衣や赤ん坊に使ったおしめの古くなったものなども、結構使われていた。木綿の雑巾が使い古してくると、繊維が段々薄くなって、まるでオーガンジーか網のようになってくる。そして、破けて所々網のようになったのが垂れ下がってくるのだが、その切れ端を集めるのが、私が小学3年生の頃にクラスで流行ったのだ。
それを流行らせてしまったのは私なのだが、雑巾の切れ端の磨り減り具合が、なんとも言えずきれいだと思ったのだ。なんじゃそれ!と思われるかも知れないが、他の子だって集めるようになったのだから私が特に変わっていたわけではない(はず)。
ある時、授業中に隣の席の男子と、切れ端の美しさ具合を自慢し合っているうちに、どういうワケが笑いが止まらなくなって後の黒板の前に立たされたことがあった。ふたりで並んで前を向いて立っていると、その子が「くっくっく・・・」と笑い出した。私も堪らずに「うふふふ・・・」と笑ってしまった。それで、今度は黒板の左右に分かれて、後を向いて立たされたという思い出がある。
ぞうきんのボロ集めは、ほんの一時期の流行に終った。


8月2日(月) さらば熱帯夜

今日、エアコンが我が家にやってきた。昼休みに家に帰ると待ちかねていたかのように宅配便で届いた。今朝、社長には
「今日、うちにエアコンが届くのですが、昼に取りつけてきたいので、午後戻るのは少し遅れるかも知れません」と手回しよく話したのだ。すると社長は
「何なら手伝いますよ。明日、Kさんが出社してきたら、ふたりでやってもいいし」と、珍しく親切なことをいう。が、気の良いKさんはともかく社長には頼みたくない。
先日来、社内の模様替えをしているのだが、今朝も出社すると私とHさんの机が動いていた。それはいいのだが社長が机の上のものや引出しをそのままにして重たい机をひとりで動かした(休みの間にひとりでやったと自慢気に話していた)ものだから、リノリウムの床は剥がれているし、私の机の脚など片方がひん曲がっていた。こんな雑な仕事をするやつに頼むくらいなら自分でやった方がマシだ。
昼食もそこそこにタロに手伝わせて狭い階段をよっこらしょっとエアコンを二階へ運んだ。箱から取り付け用の枠とエアコンの本体を取り出す。窓用のエアコンなので取り付け用の枠をサッシの部分にはめ込んでからエアコン本体を取りつけるようになっているのだ。これだけでもう汗がダラダラ垂れてくる。
さて、まずはサッシに取りつけ用の枠をはめてと。・・・がーん!なんじゃこりゃ〜。
普通、サッシは窓枠から少し低いところについているが、我が家のサッシは(腰高窓の)敷居と同じ高さに取りつけてあった。後から付けたようなヘンな造り。つまりサッシの枠が4,5センチも窓枠から上に出っ張っているのだ。これでは窓枠用を取りつけると、下に隙間ができて安定しないではないか。慌てて説明書を見ると『サッシに枠が取りつけられない場合はBを見る』となっている。「あ〜良かった。他の方法がきちんとあるんだ」胸を撫で下ろして続きに取りかかる。
補助金具を窓枠につける事でサッシの問題は何とか対処できた。やれやれ。よけいに汗をかいてしまった。
すったもんだの挙句にやっとエアコンの取りつけが完了した。1時間も掛かってしまった。それにしても取りつけ方は簡単なものだ。枠の周りにパッキンがついていて、それが窓枠とサッシとの隙間を埋める形になっているが、エアコンの前にカーテンを引いてみたら隙間風に煽られてヒラヒラしている。・・・こ、これは、ひょっとして冬は今まで以上に寒くなるって事か。追い討ちのガ〜ン!

ともあれエアコンが来た。これで熱帯夜ともおさらばできる。今夜からはエアコンの効いた部屋で安眠するぞぉ〜。と、会社でもウキウキしていたのだが、夕方になってくるにつれて網戸から吹き込んでくる風はとても涼しい。体感温度は午後7時現在で23,4度だ。
これじゃあ、扇風機をかけていても夜中に寒くなりそうだ。せっかく付けたのに、全国的に『さらば熱帯夜』ってコト?あんなに汗かいて取りつけたエアコンだったのに・・・。
うっそォ〜、超ムカツクって感じィ〜〜。
と、ついコギャル言葉(ホントか?)まで飛び出すのであった。ま、いいか。電気代の節約だ〜。ピキッ!