うすば蛉蜻日記

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7月31日(土) クーラー求めて三千里

私の覚えている限りでは、今年は6,7年ぶりの猛暑だ。川越に越してくる前に住んでいた団地で、連日37度という夏を経験した。熱帯夜が連続30何日だか40日とか言う、聞いただけで眩暈がしそうな記録を作った年だった。それ以来の暑さではないだろうか。
我が家は古い木造建築で、大家さんには悪いが相当の安普請である。天井裏には断熱材など勿論入っていない。駅前なのに高い建物のないお陰で日当たりが異常に良い。家の二階には東、北、西にしか窓がないが、朝は朝陽が夜明けと共に遠慮なく入って来るし、日中は西向きだろうとお構いなしに?お天道様がサンサンと降り注いでくれる。
屋根の上には少なく見積もっても十年以上は付いていると思われるナントカ・ソーラーが乗っかっているが、夏には熱湯が出る。古いので、時々黒いカスのようなものが風呂一面に浮いたりするが、それでもガス代が浮いて有り難い。が、それだけの熱が屋根に集まっているかと思うと、押入れの布団がほっかり暖まっているのも、頷けると言うものだ。
私は貧血があるせいか、夏にとても弱い。神経痛があるので冬にも弱いのだが、夏の暑さは思考能力さえ奪って、ひたすらダラダラ、ドロドロ脳みそが溶けるのを指をくわえて見ていなければならない処が辛い。それでなくても私の脳細胞は、死滅するいっぽうなんだからお手柔らかにして頂きたい。
夏休みで子供たちはこの暑さの中、ずっと家にいる。最近の子供はうちの子を含めてほんとうに外で遊ばない。クーラーの利いた部屋でテレビゲームなんかをしている。だから「外で遊んできなさい」と言って追い出しても、じきに遊び相手が見つからずに帰ってきてしまう。もっとも、私が子供の頃にはどんなに暑くても31,2度くらいしか気温は上がらなかったのではないだろうか。今、外で一日中遊んでいたら、ヘタすると熱射病で死んでしまうかも知れない。

今まで耐えがたきを耐え、クーラーなど必要ないとガンバッテきたが、この暑さに参ってしまい、とうとうクーラーを買うことにした。
ちょうどコジマ(電気屋)の広告が昨日の新聞に入っていた。見ると冷暖房にドライ機能まで付いたエアコンが85%引きの18,800円!尤もこれは目玉商品で先着5台限りとなっている。それにしても広告に載っている品はどれも安い。こういう点、今の世の中は有り難い。昔は貧乏人には逆立ちしても買えなかったようなものも、メーカーなどに拘らなければ大抵のものが手に入るのだから。
広告を見て色々と迷ったが、普通のエアコンは工事費が掛かる事と、我が家に元々付いていたエアコンを取り外して、引っ越す時には元通りにしなければならない事を考えて、窓用エアコンを買うことにした。こちらの方が、なぜか普通のエアコン(の安売り品)よりも高くつくのが癪に障るが、後々の事を考えても窓用にしておいた方がいいだろう。
さて、コジマは川越にもあるが、場所が車でないと行かれないような処にある。それで坂戸店の方へ行くことにした。地図で大体の場所を確認した。広告にも簡単な地図が載っているので、持っていくことにした。
坂戸駅に降り立つとバス停があった。地図によるとコジマは市役所の側らしいので、バスなら市役所の側を必ず通るハズと思って路線図を見ると、やはりあるではないの。やった!が、バス停の時刻表をみると土日運休という理不尽な但し書きがあった。なんでやねん。
駅前の八百屋のおじさんに聞くと、市役所は歩いて10分程度だと言う。正午を廻って、太陽に溶かされたアスファルトからむんむんと熱気が立ち昇っているのを見ただけで内心泣きたい気持ちだったが、不平を言っているタロを急かして歩き出す。ジロはこの暑さの中、平気な顔をしている。さすがは保育園育ちだ。
駅のすぐ近くにあったミニストップで、かき氷を買って食べながら歩く。中から冷やして前進する作戦に出たのだ。タロの不満顔も少し和らいだかに見えた。ところが、行けども行けどもそれらしき店は見えてこない。それどころか地図にある目印になるような建物も出てこない。30分くらい歩いた処でやっと大通りに出た。そこで菓子屋に入って欲しくもない菓子を買って道を尋ねた。
車で行くのかと言うので、いえ、歩きです。と答えると、その若い店員さんはえっ!という顔をした。それを見ただけでも、かなり遠くにある事を知り、気力が萎えて行くのを感じた。だが、こんな場所も判らない処では、今更引き返す訳にもいかない(すでに方向感覚をなくしていた)。
仕方なく教えられた通りにその大通りを更に進んでいった。が、さっき聞いたばかりなのに、この道をまっすぐ行った後、どこをどう曲がったらいいのか忘れている。暑さで脳みそは殆ど機能していないようだった。
それでも何とか店にたどり着いた時には、坂戸の駅を出てから1時間が経っていた。私たちは随分と迂回して来てしまったようだった。
いつもなら、買い物をする時にはあれこれと迷って(迷う余地などなくても迷うのだ)30分以上はかかるのだが、この時の私の頭の中には
「クーラー、クーラー、クーラー・・・」と、他の事を考える余裕さえなくなっていたので、エアコン売り場に行って二台の窓用エアコンを見ると、迷わず安い方を売り場の店員さんに注文していた。現物がないため、我が家に届くのは月曜日になると言う。なんでもいいから、早いこと買ってこの暑い街から逃げ出したかった。・・・どこも暑いことには変わりはないのに。
アリもしない冬のボーナス一括払いでエアコンを買って、コジマの駐車場係のおじさんに正しい駅への道順を教わって、途中でタクシーも奮発してしまった挙句に、やっと川越に着いたのは3時半ごろだった。昼ご飯も抜きで歩き回っていたのだが、空腹も感じなかった。だが、とにかく涼しい処に行きたくて駅に程近いビルのレストランに入り食事をして、地下のスーパーで買い物をして、帰ってきた。
家の中に一歩入ると、むわ〜ん!としている。この熱気をたった一台の窓用エアコンで払拭できるのだろうか・・・(取りつけるのは二階だけど)
まあ、夜だけでも安眠できればいいのだ。これで夜のカラオケもあまり気にならなくなるかも知れない。
炎天下を歩いたせいで私は今も顔がヒリヒリしている。それでも、途中でぶっ倒れる事にはならずに済んだのだから、まあ、良しとするか。
それにしてもエアコンへの道程は遠かった!


7月27日(火) 大トラと不眠の関係

タロとジロが夏休みに入って、一週間が経った。まだ、一週間か!?という気分である。今週からラジオ体操が始まったのでやっと二人とも6時に起きるようになった。逆に私の方が少々バテ気味だ。子供がうちにいると、それだけで調子が狂う。
我が家は駅のすぐ側にあるのだが、田舎の駅なので駅前と言ってもやっているのかいないのか判らないような定食屋や品揃えが中途ハンパな小さな本屋など大した店はない。駅前の道を左へ曲がって、写真屋の脇をまた左へ入った路地には初老の夫婦ふたりでやっている喫茶店とおバアちゃんがひとりでやっている飲み屋が並んであり、突き当りにはモトばついちの奥さんが、やはりひとりでやっている美容院がある。
我が家は美容院の隣で、喫茶店と飲み屋の向かい側にある。(我が家の反対隣は写真屋の自宅になっている)つまり、我が家は商売人ばかりが住んでいる、それも家が5軒しかない小さな路地の中ほどにあるのだ。そして、喫茶店と飲み屋の二軒が私たち親子の、特に夏の安眠を妨害している。
喫茶店はそれでも11時には閉店してしまうのだが、飲み屋の方は客がいる限り、何時まででも営業しているので始末が悪い。明け方に酔っ払いの怒声でびっくりして飛び起きたことも一度や二度ではない。この飲み屋、駅の方からも出入りができるようになっている、というより本来の出入り口はそちらの方なのだが、どういうワケか客は路地の方から出入りするのだ。
小さな路地で、しかも我が家の真下で車のエンジンを掛けていつまでも声高に話をしているヤツがいると、水でもぶっ掛けてやりたい気分になる(明らかな飲酒運転である)。しかし、気の弱い私にはそんなことはできないので階下に下りて行って、部屋の電気をつけて「外の物音で目が覚めたんだぞ。迷惑しているんだぞ」というパフォーマンスをするのが精一杯である。
飲み屋をやっているのはかなりいいトシのおバアちゃんである。いってはナンだが柄も悪い。客にコノヤローなどと喚いたりする。しかし、客も負けず劣らず柄が悪いのが多いので、どっちもどっちだ。離婚前に住んでいた団地で役員を一緒にしたこともあるオバサンがいるのだが、彼女はここの常連だ。声で判る。彼女の野太い声は、一度聞いたら忘れられない。しかも酔っ払うと「テメー、ざけんなよ〜」だとか、すぐ怒鳴る。とにかく凄いオバサンなのだ。団地の役員会は土曜の夜と決まっていたが、そこに酔っ払って来たこともあるくらいの大トラである。
そのために我が家では真夏にも雨戸を閉めきって寝るはめになる。クーラーもない部屋でだ。それでも3年半我慢してきたのは我ながら感嘆する。しかし、その飲み屋も最近になってその賑やかさがやや下火になってきた。関係あるのか判らないが、ここのおバアちゃんの息子が40だか41くらいの若さで糖尿と肝臓とナントカと・・・と、臓のつくものが殆ど悪くなって入院したのだ。奥さんと娘がひとりいるのだが(タロと同級生だ)一時は生命も危ないといわれたらしい。その息子、お酒が大好きで休みには昼間から飲んでいたと言う。ここまでの情報はすべて美容院の奥さんから聞いた話。
彼が退院してきて初めて家の前で会った時、最初は誰だか判らないほど面痩せしていて、しかも髪の毛が真っ白になっていたので本当に驚いた。若さゆえか順調に回復しているようだが、医者からは酒は絶対に禁止といわれているらしい。しかし家が飲み屋では、元々酒好きの人にとって禁酒は地獄の苦しみではないだろうか。
私も最近は焼酎を寝酒にしている。今日も紙パック入りの1,800ml、「三楽焼酎・ホワイトパック」というのを買ってきた。今までは「下町のナポレオン・いいちこ」を飲んでいたのだが、酒屋に行ってみるとこちらの方が安かったので買ってみた。私は酒好きなわけではないので、何でもいいのだ。このホワイトパックは25度と書いてある。家に帰って「いいちこ」のビンを見てみると、これも25度だった。それが強い方なのかどうかお酒自体には興味がない私には判らないが、いつも「いいちこ」をサワー用のジュースで半分に割って飲んでいた。3杯飲んでも酔った気がしない。が、それ以上は飲む気にもなれない。それでいつも精々3杯くらい飲んで終りにしている。
お酒はやはり、ほどほどに飲むのが身体にも精神的にも一番いいのではないだろうか。


7月25日(日)空を飛ぶ夢

暑くて、暑くて死にそうなので日記を書こうにも何も浮かばない。だって、ただ寝ているだけなんだから。
「今日は、あつくてうちでひるねをしてました マル」では、いくら何でもひど過ぎる。
そこで、やっぱり怖い話ですね。何でそうなるの!?と言わないで、まあ、付き合ってくださいよ。

この辺で『戻る』を押しそうになっているアナタ、ちょっと待って。怖いというより不思議なお話です。
私が小学生の時でした。ある晩、夢を見ました。空を飛んでいる夢なのです。私は小さい時からよく空を飛ぶ夢を見ていました。空を飛ぶ夢と言うのは、欲望が抑圧されていると見るとか何だとか・・・それはともかくよく空を飛ぶ夢を見たのはたしかです。
どうやって飛ぶかというと、まるで水泳のバタ足と一緒。空に向かってポンと地面を蹴って、足をバタバタすると身体が宙に浮いて、ふわふわと飛べるのですね。これが気持ちいい。一度やったらやめられない快感。
でも、どういうワケか空を飛ぶ時は、大抵誰かに追いかけられて、もうどこへも逃げ場がない!なんて時にエイヤッと飛ぶことが多かったのですね。どうしてでしょうか。そういう時は飛ぶ力も弱くて何度も落ちそうになって、必死です。足をずっとバタバタさせていなければならないのですから疲れます。
大抵は家の屋根程度の高さまでしか飛べないのですけど、時々、うんと高く飛べることがあって、そうすると本当に気持ちが良いのです。気流に乗っているせいか、足をあまり忙しく動かさなくても飛べます。そんな夢を時々見ていたのですが、その夜に見た夢はちょっと変わっていました。
気がつくと、家のすぐ側にあるバス停の脇のちょっと木の生い茂った場所にいました。もちろん、もう宙に浮いているのです。木の枝が邪魔なので、それを避けるようにしてふわふわと漂っていました。しばらくそこでふわふわした後で、すっと家の前の道にでました。家の前には長い板の塀で囲まれた家があったのですが、その塀の上辺りを私はゆっくりと飛んでいました。すると、前から女の人が歩いてきました。その人が、ふっとこちらを見上げました。目が合ったような気がしました。すると、その女の人は突然「キャーッ!」と悲鳴を上げたのです。それでびっくりして夢は終りました。
あの夜の外の匂い―草や木と少し湿気の混ざった何ともいえない夜の匂いを私はとても良く覚えているのです。これって幽体離脱ってやつかな?と思ったのは最近です。