うすば蛉蜻日記

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7月24日(土)献血

今日は、暑かった。35度くらいになったのではないだろうか。
我が家にはクーラーがない。ニ階に一台付いている事は付いているのだが、引っ越してきた時から付いていたものでリモコンの電池を入れるところが錆びついていて、そのためリモコンが動いたり動かなかったりする。真夏の今日のように暑い日にはつけてから1時間経っても、少しも冷えない。
とにかく古いのでつけると臭い。カビやホコリまで一緒に吸いこんでいるようで気持ちが悪い。引越した年の夏に2,3度使ったが、タロが喘息を起こしたのでそれ以来、使っていない。クリーニングをしてまで使う気にはなれないのだ。
それでも一階は上の部屋よりは少しは涼しいので、私はいつも台所兼居間にいるのだが、今日はどこにいても暑かった。床の上に寝転がって昼寝をしていたが、3時頃にはあまりの暑さにガマンできなくなった。頭がくらくらしてくる。これなら会社にいた方が、ナンボかましである。風呂場で昨夜の残り湯を浴びたが(シャワーもないのだ)後から後から汗が出てくる。
今日は川越でお祭りをしていた。暑いので行く気もなくなっていたが、デパートかどこかで涼んでこようと思い立ち、子供たちを連れて出掛けた。ところが、駅に着くと綿アメを持った子供などがいるものだから、ジロは屋台で何か買いたくなってしまった。仕方なく、屋台の並ぶ狭い商店街を、ぞろぞろと歩いて行った。
結局大したものも買わないまま商店街を歩いていると、献血ルームがあった。そうだ、ここで私が献血をしている間、子供たちも涼んでいられる。実は、今年の1月頃にも一度行ったのだが、前の日に風邪薬を飲んでしまっていたので、その事を言うと「申し訳ないのですが・・・」と献血を断られてしまった。何もしないまま粗品だけ貰って帰ったのだった。今日は、ここ数日薬も飲んでいないし、体調も悪くないので大丈夫だろうと思い、意気揚揚と献血ルームに向かった。
最近の献血ルームは、ロビーにテレビが用意してあったり、飲み物があったりしてなかなか居心地が良さそうある。以前は、ソファーに座ることもなく帰ってきてしまったが、今日は問診票に記入をしても何も問題はなかった。すぐに採血に呼ばれたので子供たちに待っているようにと言って献血室へと入った。年配の看護婦さんに、献血前の採血をされる。ここで献血が出来るかどうか、最終チェックをされるらしい。
私が最後に献血したのは、もう15年くらい前のことである。それ以降は近くに献血をする処がなかったり、ずっと貧血気味だったので、なかなか献血をする機会がなかった。私の兄と上の姉は献血マニアと呼んでもいいくらい、年中献血をしている。何十回かすると、バッチやトロフィーを貰えるらしい。兄はトロフィーを2,3個持っていると母が言っていた。兄と姉はどちらかと言うと血の気の多い方だから、少し抜いてもらった方がいいのだ。

さて、看護婦さんに両腕を出すように言われたので、両手から血を取るの?と思ったが素直に両腕を台の上に乗せた。血管の出の良い方を選ぶためだったらしい。左腕が選ばれて、看護婦さんが新しい注射器を私の目の前で取り出した。
「ちょっと痛いかも知れませんよ」注射針がぶすりと腕に刺さる。私はこう言う時に決して目を逸らさないタチなので、じっと見ていた。「はい、手を開いていいですよ」と、看護婦さんが言った。えっ?最初から私は手のひらなど握っていなかったのだが、まあ、いいか。
取った血をどうやって調べるのかと思ったら、看護婦さんは机の上にあったきれいな青い液体が入ったビーカーに注射針からポトッと血を一適垂らしてみせた。青い液体の中には、黒いものが少し浮いていたが、それは前に採血をした人の血だったのだろう。なんだかきれいなので見とれていたら、看護婦さんの残念そうな声。
「あら、浮いちゃったわね」・・・そう言われれば、今垂らしたばかりの私の血は、青い液体の中に真ん丸くなって浮いている。これは血液の比重を調べるための検査だったのだそうだ。比重の軽い血液は献血には向かないらしい。私は看護婦さんから『残念賞』と掛かれた紙を渡されて受付へ出すように言われて、すごすごと受付へ向かった。
またしても私は何もしないまま、献血記念と掛かれた箱入りのボールペンを貰ってしまった。しかも子供たちは私が採血をしている間にジュースを飲んでいた。ジュースの自動販売機しか置いてないのに、どうしてふたりしてジュースなどを飲んでいるのかと思ったら「だってタダなんだもん」と、ふたりは慌てて弁解をした。それは献血をした人が自由に飲めるようになってる自動販売機だったのだ。
私も喉が乾いていたのだが、さすがにジュースまでは飲めないので、仕方なくふたりが飲み終わるのを待っていた。何ともバツが悪いったらない。子供たちは人の気も知らないで、のんびりジュースを飲んでいる。テーブルにはお菓子も用意してあるので、それまで手を出したらどうしようかと思った。ふたりがジュースを飲み終わるのを見て、私は「行くよ!」と言って、さっさと献血ルームから出てきてしまった。

初めて献血をしたのは銀座に止まっていた献血車だった。順番を待っている時、献血車から降りてきた若いサラリーマン風の男性が両側を看護婦さんたちに抱えられ、ヨロヨロしながらイスに倒れこんだのを見て逃げ出したくなったものである。貧血を起こしたらしい。それにしても、今度また行ってダメだったら粗品ドロボウと言われそうなので、どうしたものかと思っている。


7月23日(金)訪問者 〜浮かぶ人〜(後編)

さて、前回は私が夜中に蝉しぐれを聞いて、金縛りに遭った処まででした。続きをどうぞ。

ベットの脇の私の足元の方に、きちんと正座をした男性が浮かんでいた。横を向いているので、私には彼のえらの張った横顔と、まっすぐ伸ばした背筋が見える。ずいぶん色白で小柄な人だな、と思った。彼は戦争中の国民服を着ていた。あるいは陸軍の制服のようなものだったかも知れない。足元にはゲートルを巻き、同じカーキー色の帽子を被っていた。
テレビでしか見たことはないが、彼の様子をひと目見て戦時中の人だ、と思った。
その時の私は怖いというよりも、呆気に取られていたと言った方がいいだろう。その人をなぜかまったく知らない人とも思えなかった。だが、彼は何かを話し掛けてくるわけでもなく、ただじっ正座をして前を見つめている。私は目玉が飛び出しそうになるほと、その人を見つめていた。「見つめていた」と言うのも、観念的にそう感じているだけで、もしかしたら目は開けていなかったのかも知れない。この辺りは自分でもよく判らないのだ。
すると、今度は私の顔のすぐ横辺りに白いものが現われた。「見えた」と言っていいのか「感じた」と言った方がいいか。とにかく白くてぼんやりとした何かがいるのだ。私は声から女性だと思った。何か私に話しかけているようなのだ。ぼそぼそとしたその声は、何を言っているのかさっぱり判らない。私はとにかくあせっていた。どうしていいのか判らない。
頭の中は真っ白になっていた。ただ、彼らから目が離せないのだ。そうして、しばらく見ているうちにいきなり彼らがまるでシーソーをしているように、交互に上下し始めた。「こ、これは一体ナンなんだ!」と見ていると、ふいに彼らがぱっとひとつに合体した。そして、真っ黒い塊になって私めがけて迫ってきた。
お〜〜!!この時になって急に恐怖心が私を襲った。金縛りはまだ続いていて、声もでない。が、必死に顔をそむけて悲鳴を上げようとした。「助けて〜!!」
私の何度目かの悲鳴がやっと、「ううっ」という、うめき声になった時、ふいに身体の力が抜けて楽になった。金縛りから解けたのだ。ほっとしてそのまま虚脱した状態で天井を見上げていた私の目に、オレンジ色の大きな玉を白い小さな玉が四つ取り囲んだ、不思議なものが映った。それは、私の足元の方から、すーっと天井を這うようにして動いてきて、部屋の角にきてふっと消えていった。
次の瞬間、私はがばっと飛び起きて部屋の明かりをつけた。時計を見ると、2時を廻ったところだった。
その夜は、灯りをつけたままでいつしか眠っていた。朝になって母に、昨夜こんなモノを見たのだけど、うちに戦争で亡くなった人はいるの?と聞いてみた。私はそれまで戦争中に結核で亡くなったという伯父、叔母の話しか聞いたことがなかったのだ。
すると母の伯父で東京大空襲の時に、深川で亡くなった人たちがいたと言う。一家五人だったそうだ。とにかく母の知っている限りでは、親類などで戦争中に爆撃で亡くなった人たちはその一家以外にいないと言う。私が見た男性の姿形を詳しく話すと、母の顔が蒼ざめた。その男性は亡くなった母の伯父によく似ていると言う。
辺り一帯が丸焼けになったので、いまだに遺骨さえ見つかっていないのだそうだ。私が彼らを見たのは、後にも先にもその一度きりだったが、それは終戦から33年後のことだった。33回忌の年に当たっていたのだろうか・・・。

私が彼らを見てから更に20年後の、昨年の8月14日、私はひとりで深川へ行った。はじめは両国の江戸東京博物館へ行ってみたくて出掛けたのだが、博物館を見物した後にどうしても深川へ行ってみたくなった。両国から総武線に乗り、秋葉原で乗り換え、日比谷線と東西線を乗り継いで門前仲町で降りた。深川へ行くのは初めてだった。
駅からぶらぶらと歩いていると、深川不動尊に着いた。境内を入るとちょうど戦没者慰霊会をしていたのでお布施をした。そして、帰ろうとして出口へ向かった時に、左側に薄暗い一角があるのに気がついた。真夏の太陽が照りつけ、うだるような暑さと参拝客の賑やかの中で、そこだけはたった数歩入った処なのに、別世界のように静かだった。私は、何かに引き寄せられるようにして、大きな石碑の前に立っていた。
その時だった。ミーン、ミン、ミン・・・蝉しぐれが私の頭上から降ってきた。終戦を告げたあの日も、日本中に蝉しぐれが降り注いでいたのだ。私は厳粛な気持ちになり、頭を垂れてしばし祈りを捧げたのだった。


7月21日(水)訪問者 〜浮かぶ人〜(前編)

さて、いよいよ暑くなって参りました。"暑くなったら"、かねてからのお約束がありました。そう、怖い話!幽霊を信じている人も、そうでない人も肝試しはやったことがあるでしょう。肝試しをしてみるつもりで、読んでみて下さい。
夜中にネットをする人も多い事でしょう。今も窓の外にくっきりと月が浮かんでいませんか?蒼白い光を放つ月夜って何だか不思議なことが起こりそうな気がしませんか?
と、いやがうえにも怖がらせておいて、私の百物語を始めましょう。

私は3,4歳の頃から霊体験をしていたが、それを自覚したのはずいぶんと後になってからだった。おかしなモノを見ても、ただ寝ぼけていたからだろう、と信じてもらえなかったし、自分でもヘンだな〜と思いつつ自分が幽霊など見るわけないと思っていたので(見たら絶対にショック死すると思っていた)それらの現象がナンなのか判らないまま、10代もなかばを過ぎていた。
幼い頃は前にも書いたが、あまり役に立たない予知能力の方が強かったし、いるわけもない人の声が聞こえるだけだったし、ヘンなモノは人に説明のしようがなかったので、霊体験などした事はないと思ったまま17歳の夏を迎えていた。

私の記憶に間違いがなければ、それは今からちょうど21年前の7月19日のことだった。その時に見た光景は、今でもはっきりと記憶に焼きついている。
寝るときに本を読む癖がある私は、その日もベットの中で本を開いていた。まぶたが重くなり、ベットの脇に本を放り出して眠りについたのは12時をかなり廻っていた頃だったと思う。あの夏は、ちょうど今年のように7月に入ってもそれほど暑くなく、夜は涼しくなって過ごしやすい日が続いていた。私はまだ、布団を掛けて寝ていたと思う。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。私はミーン、ミンミン・・・という蝉しぐれの騒がしい音で目を覚ました。
「セミの声だ・・・今年初めて聞いたなぁ。どこで鳴いているのかな。それにしてもずいぶん、たくさん鳴いているなぁ・・・」朦朧とした頭で、セミの鳴き声を聞くとはなしに聞きながら、私はそんなことを考えていた。まるで、真夏の昼下がりのようにたくさんのセミが鳴いている。ところが、最初は遠くで鳴いているように聞こえたセミの声が、段々と近づいてくる。
「何かヘンだな、このセミの鳴き声は私の頭の中だけで鳴っているみたいだ」と思った時には金縛りに遇っていた。私は仰向けになり、両手をバンザイするような格好で寝るのが癖だったのだが、そのまんまの格好で固まってしまっていた。セミの声は鼓膜を破るのではないかと思うほどの大音響になってきた。その凄さは、ヘッドフォンをしてボリュームを思いっきり上げてヘビメタを聞いているようだった(ヘビメタをヘッドフォンで聞いたことはないが)。頭蓋骨の中でセミの鳴き声が共鳴して、食いしばった歯がガチガチと音を立て鳴り出すくらいだった。
いったい、どうなってしまうのか。とにかく動けるようになりたいと、身体に力を入れても腕ひとつ動かすこともできない。と、その時ふいにセミの鳴き声が止んだ。目も開けることができた。助かった〜と思ったのもつかの間だった。

セミの鳴き声から始まった私の恐怖体験。なぜ、セミの声が聞こえたのか、その夜私が見たモノは!明日の続きをお楽しみに〜。


7月18日(日) 面白い話〜ノストラダムス編

私とタロが話している処へ来て、ジロが急にこんな事を言った。

「ねぇ、ねぇ。僕この前とっても面白い話を考えたんだ。聞いて」
私、タロ「なぁに?」
ジロ「ノストラダムスがトイレの中で予言を考えました!」
私、タロ「・・・・・・」
ジロ「ねぇ、聞いてた?」
私、タロ「うん。聞いてた」
ジロ「面白くなかった?」
私、タロ「・・・・続きがあるのかと思った・・・」

ジロ、あんたが一番、面白い。


7月14日(水) 酢めし

こうムシムシ、ジトジト暑くなって参りますってぇと、食べ物が腐りやすくなっていけません。
昔は随分と意地っ張りな若旦那もいたそうでございます。日頃から自分のことを食通だぁなんてぇ事で、自慢しておりましたものですから、腐った豆腐を食べさせられて
「ん〜、これは酢豆腐と言うものでありんす…」なんてぇ具合に最後まで見栄を張っていたそうですが、それで腹を下したりした日にゃあ、いい笑い者でございますな。

その点、私のかつてのバカ旦那…いえ、旦那さまなどは正直ものでございましたね。いつ頃のことでございましたでしょうかねぇ。確か所帯を持っていた頃だったと思います。そりゃ、当たり前だろうって?こりゃ失礼致しました。
とにかく頃は夏、暑いさかりでございました。私はいつものように、朝6時に起きて旦那さまにせっせと愛妻弁当を作っておりました。いえ、その頃にはツノの生えた妻モドキになっていたかも知れませんが・・・。
「行ってらっしゃいまし〜」玄関口まで旦那さまを見送ったりして、あの頃は曲がりなりにも妻として一所懸命頑張っていたのでございますねぇ。
ところが、夜になって旦那さまが帰ってくるなり開口一番言いました。
「お前ね、あの弁当は腐っていたよ」
「あれま、おまいさん。それじゃお昼はどうなさったのかぇ?」そこまで時代がかる事もない。
「まあ、聞きなさいよ」といささか、ご機嫌斜めな旦那さま。
「昼になって、私がさて弁当でも食おうかと、弁当箱の蓋を明けたと思いなさい」
「はいな…」
「とたんにツーンと鼻をついたのが酢ッぱいニオイ」
「あれ、おまいさん。今日の弁当に寿司ご飯は入れていませんよ。誰かの弁当とお間違えになったんじゃぁないのかぇ?」
「そうじゃない。腐っていたんですよ、弁当が。いいから、聞きなさい。それで私はどうしたと思う?」
「さ〜て、どうしましょうかねぇ」
「厭な女だね、どうも。自分のことじゃないと思ってこれだよ」
「とにかく続きを聞かせてくださいよぅ」
「こいつ楽しんでやがる。(泣)…仕方ない、はっと何か用事を思い出したふりをして弁当箱の蓋を閉めて、そのまま席を立って行きましたよ」
「ふ〜ん、おまいさん頭がいいねぇ」
「感心してるよ、この人は…。私は今日の昼を食べ損ねてしまったんだよ。どうしてくれる」
「さあて、どうしたものか。今夜あたりはおまいさんの通夜を出す予定でいたから何の支度もしていなかったんですけどねぇ・・・」
お後がよろしいようで…むかし、昔のお話でございました。テケテンテンテン…

尚、この話は落語風に構成してありますが、皆さんの予想通り?100%事実を元に書いてます・・・
最後のオチだけは、さすがにちょっと違っています。本当の処、私は涙がでるほど大笑いしたのでありました。それもナンですな。