うすば蛉蜻日記

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7月13日(火) 人間もどき

早起きはなんとか慣れてきたけれど、相変わらず午前中は眠い。夜になると、それも時間が遅くなるほど目が冴えてきてしまうので、ワインをコップに2杯ばかり飲んでいるのだが、ちっとも酔わないし(この程度ではダメなのか。でも勿体無いからそれ以上は飲まない)従って眠くもならない。布団に入ってから枕もとのスタンドをつけて本を広げる。そうしてしばらく読んでいると眠くなる。入眠剤を使うこともあるのだが、薬が効いてきた時にぱっと寝てしまわないと効き目が半減してしまう。頃合いを見計らって飲むのが、結構難しい。

今日は書くこともないから日記は休もうかと思っていたら、テレビを見ていて懐かしく思い出したことがあった。『うたえモン』というテレビアニメのランキング番組を見ていたのだが(実写版もあるが、要するに子供番組である)。ン十年前の子供番組から現在やっている番組まで幅広く紹介している。私が興味のあるのは、もちろんン十年前の番組である。
今日もウルトラマン特集をやっていた。それにしてもウルトラファミリーがこんなにたくさんいたとは驚いた。本家ウルトラマン、ウルトラセブン、タロウ・・・辺りまでは判るがキング、ユリア、80となってくると、さっぱりである。
「へぇ〜、ウルトラマン・ハチジュウなんてのもあったんだ〜」思わず声に出して言うと
「お母さん、それエイティじゃぁ・・・」タロに言われて、うっ(シマッタ!)。言葉に詰まってしまった。

私はどちらかと言うとウルトラマンよりウルトラQを熱心に見ていた。ウルトラマンのようなヒーローはまだ登場していない。異星人が出てきたり、ちょっと不思議で不気味な『世にも不思議な物語』風の話が多かったと記憶している。
たとえば『人間もどき』なんてぇのが出てきて、地球防衛軍の隊員(当時は何て言っていただろう?)にやられると、服だけを残して消えてしまうのだ。人間そっくりだけど死ぬと溶けてしまう。だから『人間もどき』。昔は万事、判り易く出来ていた。
確かカラー放送が始まって間もない頃で、(テレビはカラーになってもカラー放送をしている番組が少なかった)ウルトラQは途中からカラー放送になったのだろうか。この辺りの記憶は曖昧だ。せいぜい5,6歳の頃の記憶だから勘弁して頂きたい。
カラーになってから渦を巻いた絵の具がグニュ〜っと廻って「Q」の字に変わるタイトルを見て、すごくキレイ!と感激したのを覚えている。と同時に、タイトルを見ただけで、背筋がゾクッとした。オカルト的な話が多かったのだ。それとも子供には刺激が強かったので、怖かった思い出だけが強烈に記憶に焼きついているだけなのだろうか。ウルトラQを見た後は、兄弟(姉妹)揃ってトイレに行ったものである。
「絶対、待っていてよ〜!」とトイレの中で叫びながら・・・。


7月12日(月) この親にして…

「あ〜ん、織田さんがお母さんのことをジッと見つめているぅ〜」私の声に、テレビを見ていた子供たちはぎょっとして振り向いた。お母さんがまた壊れたのか?と言う顔。そんなことにはお構いなしに私は続ける。
「だってぇ、織田さんったら〜。ホレ!」と指差す彼方には織田裕二がカメラ目線で微笑んでいる。昨日買い物に行った時、織田裕二が載っているので用もないのに貰ってきた携帯電話のカタログだ。
一日一回ボケをかまさないと、どうにも調子がでない。家庭内は明るくていいのだが、時々困ることがある。親らしく子供にいっちょ前に説教をして、親の威厳を見せつけたと思ったら
「いや〜ん、また織田さんがこっち見てるぅ〜」つい口から出てしまう。…これでは親の威厳なんて長続きしない。

昨日は実家の墓石を新しくしたのでお参りに行く予定でいたら朝になって母から電話がきて、来なくていいと言う。どうしてかと思ったら天気予報で東京に大雨注意報が出ているからだと言う。実家の菩提寺は京成線の堀切菖蒲園の先、お花茶屋というところにある。
「子供たちを連れてでは大変だから、来なくていいわよ」と、母が言う時にはすでに中止は決定しているのだ。しかし私も子供たちも久しぶりのお出掛けなので楽しみにしていた。
「でも、子供たちだってもう赤ん坊ってわけではないんだから、大丈夫よ」と、空しい抵抗をしてみるが、母は大変だからと言って聞かない。ずいぶん前から予定に入れておいたのに雨ごときで文字通り流れるとは…。一昨日、確認の電話を入れた時には
「あんたもいずれは入るかも知れないんだから、ちゃんとお参りしておかなけりゃね」などと言っていたのだ。
「へぇ〜、私も入っていいの?」実は前々から気になっていたのだ。私に万一のことがあったら墓はどうすればいいのだろうかと。会社で同僚ともそんな話をしていたばかりだった。
「名前が違っても(私は結婚していた時の姓を名乗っている)入れるの?」それが一番の気がかり。
「お寺さんによっては嫌がる処もあるけど、うちのお寺さんはそんなうるさい事は言わないから大丈夫よ。お寺さんとお兄ちゃんにきちんと頼んでおきなさい。いざと言う時にはお兄ちゃんがやってくれるから」ん?
「ちょっと待ってよ。お寺さんは判るけど、私はお兄ちゃんより先に逝くワケ?私はもう少し長生きしたいと思っているんだけどな〜」
「ああ、それもそうか。こっちが先に逝ってからだったわねぇ、順番からいくと。アハハハ…」
「とにかく万一の時は墓石に名前なんて彫らなくていいからさ、お墓の隅っこの方に放り込んでおいてよ」
「そう、そう。そんな事はどうでもいいのよね。お寺さんに頼めば大丈夫だと思うわよ〜」オイオイ・・・バアさんマジかいな。この親(母)にしてこの子(私)あり。呑気な母であった。


7月11日(日) ご先祖様の呼び声

旧掲示板が最近、繋がり易くなったような気がするので消すのも勿体無いと思い始めた。そこで、とりあえず『夏季限定・百物語掲示板』というタイトルに衣更えした。皆さんの怖〜い話を披露して頂けたらと思う。オバケの話に限らず、怖い思いをしたことは、一度や二度はあると思うので、そうしたものでもOKとします。繁盛しなくても困りますからねぇ。私は日記の方に書くので掲示板ではレス専門にしておきます。

今日は、墓参りに行く予定が中止になってしまったが、お墓で思い出した話をする。これは母が数年前クリーニング屋で働いていた時に同僚から聞いた話である。その同僚を仮にA子さんとしておく。
ある日、A子さんの夢に彼女の夫のご先祖と名乗る人々が四人出てきた。そして、A子さんに
「私たちの墓は荒れ果て、誰からも供養されることもなく放置されている。どうか、墓を直して供養して欲しい」と頼んできたと言う。夢の中で彼らはA子さんを墓のある場所へ案内までしてくれた。朝、夢のことがどうしても気になったA子さんは夫に夢の話をした。すると夫は、先祖の墓なら数年前に実家で何基か並んでいた墓をひとつにまとめ新しく建て直し、きちんと供養をしているはずだと言う。だが、どうしても気になったA子さんは夫と一緒に先祖の墓のある場所へ出かけて行った。
その場所へ行くのはA子さんは初めてだったのだが、途中から昨夜夢でご先祖さまに案内されて見覚えのある道になってきた。はやる気持ちを押えて墓地に着くと、A子さんは夫の先に立って歩いていた。A子さんが辿り着いた場所は新しく建て直した場所から少し離れた荒地の中だった。そして、そこには古びて墓石は壊れ、墓標も判読が難しいような無残な墓が数基あった。調べて見るとまさしくそれは彼女の夫の先祖の墓であった。
実は、あまりに古い墓だったので正しいご先祖の墓の位置を知る人もいなくなっており、そのために数基の墓が取り残されてしまっていたのだ。その墓に入っていた人は四人。A子さんの夢に出てきたご先祖さまの人数とまったく同じであった。

今の話とは少し違うが、2年ほど前私の実家にもお墓にまつわる不思議なことがあった。私の曾祖母に当たる人は事情があって我が子である祖母を2,3歳の時に手放していた。数十年後に再会してからも曾祖母は娘を捨てた(本当はそうではないのだが)自責の念からか、結婚して幸せに暮らしている娘に迷惑をかけまいとしてか、あまり祖母の家を訪れることもなかった。また、連れ合いに恵まれない人でもあり、生涯に四回結婚をした。しかも最初の時を抜かすと、すべて死別であった。
山形で亡くなったことだけは判っていたのだが、どこに葬られているのかさえ誰も知るものはなかった。亡くなる少し前に祖母へは形見とも受け取れる品を手渡していたが、周りの人には自分が死んでも娘には知らせなくていいと話していたそうだ。それにしても、本当に知らせないでいることもなかっただろうに、と思う。結局、祖母は自分の最愛の母の死に目に会えない処か、どこに葬られているのかさえ知ることが出来なかった。再婚した先であったので、こちらから聞くのも躊躇われたのだ。
その祖母も7年ほど前に亡くなったが、その後に祖母の長女である伯母から曾祖母と祖母の話を詳しく聞く機会があり、私や母、母の妹のY子叔母さんなどは祖母も気がかりだったろうし、曾祖母も可哀想なので、何とか墓を捜してやれないものだろうか、と時たま話題にしていた。
しかし、気にはなっても山形には直接の親類もいないし、曾祖母が再々々婚した相手の苗字しか判らなかったので捜しようがなかった。私も忘れたことはなかったが、具体的にどうする事もできなかった。それでも、いつか山形の祖母の出身地、米沢を訪ねてせめて祖母がどういう処で生まれ育ったのか見てきたいと思っていた。誰の思いも同じであった。そんな風に私たちが思い始めてしばらく経った頃に、母から電話があり曾祖母の墓の在り処が判ったと言う。

それは、こんな経緯であった。Y子叔母さんはその頃テレホンアポインターのパートをしていたのだが、電話を掛けた相手がどうも山形なまりがあるようなので聞いてみると、やはり山形の出身だと言う。そこで叔母は思いきって曾祖母の再婚相手の苗字を言ってみた。少し変わった苗字なので、もしや知っている人がいるのではないかと、万にひとつの望みをかけてみようと思ったそうだ。すると、何と電話の相手はあさっりとその苗字の人なら知り合いがいると、答えたそうだ。そして、その人の電話番号を聞いて叔母は電話を掛けてみた。実は…と切りだし曾祖母の話をすると、そのお祖母さんならうちの亡くなったお祖母さんに違いないと言う返事が返って来たのだった。それを聞いて私と母は
「とゑお祖母さん(曾祖母の名前)が呼んでくれたんだねぇ」と話し合った。そして、2年前の秋、私たち母子と母、そしてお手柄のY子叔母さんとで米沢へ行き、念願叶って曾祖母のお墓参りを済ませることができたのである。
ちなみに、とゑお祖母さんは、姿のすっきりとしたとても上品な人であったと言う。


7月10日(土) 網戸を張り替える

暦の上ではもう夏である。小暑も過ぎたので、Web暑中見舞いを作ってみた。梅雨も明けていないのに、ちょっと早い気もするが、思い立ったらすぐにやらなければ気が済まないせっかちな処が私にはある。
絵柄は昼間ネットで捜し出した浮世絵。夏らしく幽霊の絵だ。HP上で個人が公開しているくらいだから、使わせてもらっても大丈夫だろう。著作権はとうの昔になくなっている(ハズ)。画像は一番大きいもので、16.5KBとやや重たくなってしまったので、そのつもりで見て下さい。

今日は、前々から気になっていた子供部屋の網戸の張り替えをした。引っ越してきた時からのボロ網戸で、それでも他の部屋の網戸は虫を防ぐ役には立っているのだが、どういうわけか子供部屋の網戸はあっという間に破けてしまった。(犯人は判っている)真中の処から横に裂けて、べろんと網が垂れ下がっている。仕方ないのでガムテープを貼ってみたり、針金で繋ぎ合わせたりしていたのだが、もうどうにもならないほど破れがひどくなってしまった。夏までに直そうと思いながら、面倒で今日まで手を付けなかった。
網戸の張り替えはひとりでやるのは難しく、網がぼこぼこになってしまうと聞いていたのでタロに手伝わせた。部屋の中に新聞紙を敷いて網戸を寝かせ、網戸を留めていたプラスチック板を外す。網戸の枠に、3ミリくらいの溝があって、そこへ網を押える板が入っているのだ。マイナスドライバーを板の隙間に入れてぐぐっと持ち上げ、ペンチで引っ張る。外した跡から砂がばっと飛んだ。こんな処に入り込むものなのか。
古い網を取り外し、新しい網を乗せる。適当な大きさに切ってから、所々網を洗濯バサミで挟んでおく。網を押さえるのに、プラスチックの板は高いので、昨日ホームセンターで『網押えゴム』というのを買ってきた。よく考えたら、またその板を使えば良かったようなものだが、外してみるとプラスチックがぐんにゃり曲がっていたので、これでイイノダ。
ゴムは網戸2枚分で250円也。安い。網の四隅にその『網押さえゴム』を専用のローラーではめ込む。これが、かなりの重労働だった。体重をかけてぐいぐい押し込まなければ、隙間に入っていかない。
最初はなかなかゴムが隙間に入らなかったが、やっているうちにコツが判ってきた。真上から力を入れ、なおかつローラーをやや左右に傾けて、ゴムの端から押しこむようにする。ぐりっ、ぐりっ、ぐっ!ぐりっ、ぐりっ、ぐっ!と、リズムが付いてきた。
「上手になってきたね」とタロ。「右、左、ま〜ん中。右、左、ま〜ん中」というタロの掛け声に合わせて、私は汗みどろになってゴムをはめて行った。段々、息が荒くなる。
「はぁ、はぁ。うっ、うはぁ…。うくっ、はぁ。はぁ、はぁ…」外で人が聞いていたら、昼間っからナニをしているんだろうとぎょっとしたかも知れない。(汗)

正味45分で網戸の張り替えは終った。私は汗びっしょりになっていた。両手はローラーを力いっぱい握っていたので真っ赤になっている。しかし、思ったよりピンと張れたのが嬉しい。窓に網戸をはめ込んでホレボレとしてしまった。なんと言っても自分でやれば安上がり。網と押えのゴムと合わせて1000円弱で出来た。業者に頼むと、網戸一枚で1万円近くするのではないだろうか。この時期ホームセンターには網戸のコーナーが店の真中にあるのを見ても、経済的に済ませようという人が多いのだろう。
私はふすまも、障子も自分で張り替えるし、壁紙も貼ったことがある。アルバイトでリフォーム屋さんでも始めようかしらん。


7月9日(金) 蜂の巣

昨日、子供がうちの軒下に蜂の巣を発見した。またか!隣近所を見ても、蜂の巣が作られた様子はない。「またか」というのは、去年も蜂の巣で大騒ぎをしたからだ。どうしてうちだけに、巣を作るのだろう。うちの廻りは最近建て替えた家が多いのだが、新建材には巣を作りづらいのだろうか。

あれは去年の夏の終わり頃だった・・・
うちの軒下に蜂の巣があると気がついたのはジロとその友達だった。それも三ヶ所もあると言う。慌てて外へ出て 軒下を見上げてみると、ある、ある。二つはあしなが蜂の巣で、もうひとつはとっくり蜂(地蜂?)の巣らしい。家の西側の路地に面した日当たりのいいベランダの下と、私の部屋の窓の斜め下にひとつずつあって、その中ほどにとっくり蜂の巣がある。とっくり蜂の巣というのは、泥で固めたような巣だ。こんなのを見たのは初めてだった。(とっくり蜂というのはタロの情報で本当の名前なのかは判らない)
あしなが蜂の方は二つとも盛んに出入りをしている。巣の大きさは大きいのが15センチくらい、小さいので7,8センチ くらいだろうか。ベランダは北向きにあるのであまり使っていないが、それでも天気がいいと夏は洗濯物が乾く。私は知らずに出入りをしていたのだ。
市役所に電話をしてとってもらえないか聞いてみた。テレビで市役所の職員のような人が蜂の巣を取っているのを見たことがあったような気がしたのだ。しかし、川越市役所ではそういうことはやっていなかった。業者に聞いてくださいと言って電話番号を教えてくれた。気が進まないが電話をしてみる。気になるのは料金のことである。すると蜂の巣ひとつに2万円以上かかると言う。ほんの7,8センチの蜂の巣ひとつに2万円!!
自分でやるっきゃない、と私は決心した。

夜になり、いざ蜂の巣バスターズの出動である。蜂の巣を取るなら、蜂が巣の中で休んでいる夜がいいと前の喫茶店のおじさんが教えてくれたのだ。私は押入れから長袖のトレーナーを引っ張り出して、Tシャツの上に着た。袖口は軍手の中に突っ込み、頭からタオルをかぶってトレーナーの中に入れる。その上から更にネッカチーフを真知子巻きにして、子供の水中メガネをつけた。完璧な装備(どっから見てもアヤシイ人間である)に身を固めて、蜂の巣退治が始まった。
タロとジロも助手として、私の後ろに殺虫剤と棒を手に凛々しい顔で立っている。いざ、出陣!洗濯物を干すのに毎回、長袖に水中メガネと言うわけにはいかないので、まずはベランダの下の巣から始めることにした。
「息子たち、敵は武器を持っています。動きも素早い。ここから先は母が一人で参ります。おまえたちは窓を閉めて待っていなさい。何があろうと決して開けてはいけませんよ」
「母上〜〜」と、母子の別れを演じたかどうかは忘れたが(するか!)とにかく蜂が飛び込んでくると危ないので息子たちには部屋の中で待っているように言い聞かせ「気をつけてね〜」という二人の声援を背に受けて、私はひとりベランダに立った。ひゅるる〜〜。(効果音…風の音)
ベランダの隅から下を覗きこむと思いがけない至近距離に蜂の巣があった。巣を出たり入ったりしている蜂がうじゃうじゃいるではないか!オジサン!夜は巣の中に入っているんじゃなかったの?
ここまできて、ひるんではいられない。ここでやらねば女がすたる。
「すまん、これも我らが生きるためじゃ」蜂たちに心で詫びながら、殺虫剤を思いっきり巣に向かって吹きつけた。顔をそむけながらデタラメに棒で巣を突っつくと、手にしていたもの総てを放り投げ、電光石火の早業で部屋へ飛び込みサッシを閉めていた。だはぁ〜。(棒と殺虫剤は後で取りに戻った)
とっくり蜂の巣は、泥なのでしっかり壁にくっ付いていてどうにもならない。それに、どうも空家のようなので取るのはやめた。最後に私の部屋の窓の下にある巣を同じようにして棒で落とした。ここは玄関の上になるのでやはり危険個所なのだ。
私が窓から身を乗り出して、まさに蜂の巣を叩き落さんとしている時、斜め向かいの写真屋のおじさんが荷物を抱えて裏口から出てきた処で、しっかりこの異様な姿を目撃されてしまった。でも、顔を隠していたのだかから、私だとは判るまい・・・。

だが、これで蜂の巣退治が終わったわけではない。落ちた巣を回収しなければならない。けれどもドアの外に怒った蜂たちがブンブン飛びながら私を待ち構えているような気がしてなかなかドアを開けられない。(ディズニーアニメの見過ぎ…)ちょっと開けては「ひゃ〜」と言って閉める。ジロは自分が行くと言って張り切っているが、却って危ないのでやらせる訳にはいかない。やっと意を決して外へ出た。
すでに陽はとっぷりと暮れ、目が悪い私には石ころなのか巣なのか、はたまた道路のシミなのかさっぱり区別がつかない。何やら黒っぽい物体にへっぴり腰で近づいて行って、ちょっと突付いては「う゛わ〜」と悲鳴を上げてドアに突進していては埒が明かない。仕方ないのでタロを呼んで偵察に行かせることにした。
「えっ、ボクが?さっきは危ないから近づくなって言ってたのに…」
「うるさい。早くしないと、夕飯が食べられないわよ!」と脅している。我ながらなんて酷い親だと思う。
タロはそれでもしぶしぶ出て行くと、ろくに見もしないで「あれは絶対に蜂の巣だよぅ〜」と言ってドアの陰に隠れてしまった。オイオイ…。やらせた私がバカだった。

という訳で去年は小さな蜂の巣にずいぶんと大騒ぎをしたものである。
昨夜は去年の経験がものを言って、簡単に落とすことができた。しかし、やはり回収作業は大変だった。釣竿の先にビニール袋をつけて、それを蜂の巣に被せて更に靴の入っていた箱を被せ、ずりずり引きずってうちの壁際に寄せた。それから殺虫剤を箱の隙間からぶわーっと撒いて、一晩放置しておいた。
今朝、見てみると箱の外で3匹の蜂が死んでいた。すでにアリがたくさんたかっている。その蜂を見て、タロは「絶対に スズメバチの顔をしている」と言う。
そんなコワイもんに昨夜の私は、無謀にも素手で立ち向かってしまったのだ。これからは蜂の巣退治も私の得意技のひとつに入れることが出来る。…もう、懲り懲りだっちゅうの。


7月8日(木) 悪徳商法

朝、6時前に起きるようになってまだ3日だが、快調だ。ただ、時々眠くて堪らなくなる。
朝はわりあいパッと起きられるのだが、10時近くになると、何をやっていてもまぶたが重くなる。昨日は帰宅後の午後6時から7時くらいにかけて死ぬほど眠かった。それを過ぎると、もう大丈夫なのだが今度は12時を廻っても眠れない。今日は、午後8時を過ぎた時点でまだ大丈夫だ。段々慣れてくるだろう。
なんと言っても今までが、のんびりし過ぎていたのだ。眠いのも当たり前でサマータイム風に言うと私の体内時計は2時間針を進めたようなものなのだから。 時々テレビのモーニングショーを見ることがある。昨日も見ていると悪質商法についてやっていた。電話や訪問販売などでやたらと高いものや粗悪な品を売りつけたりするアレである。騙しのテクニックや断わる方法などを例として挙げていたが、その中にこんな話があった。
電話を掛けてきて「インターネットに興味はありませんか?」と聞いてくる。「ええ、まあ」などと答えると「ホームページ作成の仕事があるのだが、やらないか」と誘う。そこでなんと一枚が10万円もする『ホームページ作成用』なるCDを4枚買わされる。始めは断わっても「とても高収入になるので人気のある仕事です。定員があって空きは少ししかない」などと言ってその場で決心させるように話を巧みに持って行く。それで契約を交わすと最初のうちこそ仕事が来るが、ある日突然、一方的に打ち切りの通知が来る。
ある主婦の例では、18万円儲けたところで仕事を打ち切られたそうである。それにしても、4枚で40万円のCD‐ROMである。どうして買う気になるんだろう。少しでもパソコンを使っていて、インターネットも経験していたら、そんな話が信用できるものではないことくらい判りそうなものだが。彼女が作ったHPが、ネット上のどこかに今も存在しているのだろうか・・・騙される方が悪いと言うが、何とも気の毒な話だ。
一度このようにして騙されると、次からはもうニ度と騙されないかと言うとそうでもなく、一度騙された人が5年以内にまた騙される確立は5割近いそうだ。騙されやすい人と言うのは『NOと言えない日本人』なんだろうな。
我が家にも以前、見知らぬ人から電話があって「インターネットに興味がありますか?」と聞かれたことがあった。最後まで聞かずに断わったので判らないが、テレビの例とは違うようだった。相手は私を主婦だと思っている様子。そこで私はまったく興味などないと、素っ気ない返事をした。それでもすぐには引き下がらない。パソコンを使って、なんたらかんたら…と話し始めた。ちょっと、すみません。と話を割って入り
「でも、うちにはパソコンなんてありませんから、何のことだかさっぱり判りません」と、言ってやった。今後、買う予定もないのかと聞かれたが、よけいなお世話だ。(とは言わなかったが)本当はその時はもうパソコンは持っていた。相手は今の世の中パソコンも持っていなくて、インターネットも知らないとはネ、ふん。という調子で電話を切ったが、まだまだ青いぞ、キミ。
私が様々な勧誘をこのようにうまくかわして避けられるようになったのも、玄関先まで押しかけられてもビクともしなくなったのも、数知れないほどの電話勧誘・訪問販売・宗教の勧誘?などの修羅場をくぐり抜けてきたからこそである。若い頃、いや、数年前までは欲しくもないものを買わされたりしていた。
何かを買えば分割払いにしろ何にしろ、いずれは支払わなくてはならない。だが、今の我が家は「いずれ」はどうなるとも知れない経済状況が続いている。それに何しろ大抵のものが必要とは思えないものばかりである。あればいいな、と思うものもあるが、どうしても欲しいと思えるようなものはめったにない。
最近の大失敗と言えば、スキャナくらいだナ…(号泣)
我が家はお金が必要最低限しかない事で、悪徳商法の被害に遭わずに済んでいる。貧乏で良かった、と思える瞬間である。(思ってどうする!)
私には元々化粧品はどこそこの何という商品、下着はナントカ製のものしか使わない、と言ったこだわりがまったくないので、まことに貧乏には適した性格と言える。別にメーカーにこだわるのが悪い訳ではない。私は、こだわる処が違うだけの話でこだわりと言うのは誰にでもあることだ。私が経済的に安上がりに出来ているだけのことだ。ま、あまり自慢にはならないけど。