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岩手山に会いに

はじめに

この文章は3年前に、とある新聞で「JR東日本旅の想い出日記’96東北」と題した作文の募集に母に勧められて応募したものです。
締切り間際に滑り込みセーフという感じで書いたので、まさか入選するとは(佳作でした)思ってもいませんでした。稚拙な文章ですけど、今読み返して見ると、あの当時の自分の思いはどこかに現れているかな、と思います。離婚一年目は、何かと気持ちの動揺が大きい年だった事を改めて思い出したのでした。直したいところも多々ありますが、原文のまま載せます。
しかし正直に告白すると、募集広告に載っていた前年の大賞受賞作(中学生)の作文を読んで、ちょっと心温まる内容にするのが 入賞のコツか?と、いやらしい計算をしました。だはっ。

入選作品には新聞社の方に著作権があるという事ですが、ここにこっそり?載せるくらいは大丈夫でしょう、たぶん。それに、入選した作品がその後何かに使われたという話は聞いていません。
佳作なんてね、名前が紙面に発表されるだけなんですから、せっかく書いたのに・・・(-_-;)
でも、たったこれだけの文章で3万円分の商品券ですから、宝くじより確率いいかな?なんて・・・

岩手山に会いに

四年前、初めて東北新幹線に乗って盛岡に住む姉夫婦を訪ねていった。夫と、四歳と二歳になる二人の息子を連れての家族旅行だった。
遅い春を迎えた北国の桜が見頃だった。初めて乗る新幹線に息子たちは大はしゃぎをしていた。車窓から見た名も知らぬ山の端に掛かった虹は今でも息子たちの記憶に焼き付いている。
帰りの新幹線の窓の向こうで、岩手山が私達を見送るかのように青空にくっきりと稜線を描いていた。
そして今年、再び盛岡を訪れた。私と息子たち、三人での旅だった。夫と離婚して半年が過ぎていた。少し、贅沢かと思ったが、息子たちの夏休みの思い出作りと半年間、頑張ってきた自分へのご褒美のつもりだった。
姉の気遣いで、キャンプ、温泉、プールと私達は飽きることなく五日間の旅を満喫した。岩手山を目の前にしたキャンプ場では、二百数十年前の岩手山の噴火の際に流れ出たという溶岩流の広がる一帯を歩き、地獄を思い起させるような荒涼とした景色に息を飲んだ。そして、夜には命の瞬きのごとく夜空に輝く無数の星々を眺め、何万光年という時の流れに思いを馳せた。
帰りの新幹線「やまびこ46号」に、思い出をぎっしり詰め込んだリュックサックを担いで乗り込んだ。今年も岩手山は青空にその勇姿を聳えさせ、私たち母子を見送ってくれた。
思えば十年の結婚生活で列車に乗って旅行をしたのは、後にも先にも四年前のあの旅だけだった。もう、二度と四人で旅行をする事もないだろう。
田園風景が次第にごみごみした町並みへと変わって行くにつれて、楽しかった気分が現実へと引き戻されて行く。
また、明日から母子三人の生活が始まるのだ。大宮が近づくにつれて私の気持ちは重くなっていた。しかし、息子たちは私の気持ちとは裏腹にこの街に帰ってきた事を喜んでいる。
新幹線を降りて、大きなリュックを担いで歩く長男の後ろ姿を見て、四年の月日を思った。四年前の旅行では、持病の喘息と怪我で二度も旅先で病院へ駆込んだのが嘘のように悠々とした背中だった。
この混沌とした町が私の生活の場なのだ。ここで私は生きているのだ。元気で逞しい息子たちと共に。
また、来年も岩手山に会いに行こう。
きっとまた、変わらぬ姿で私たちを迎えてくれるに違いない。