|
バスストップ
私はド近眼である。左右とも0.03しか視力がない。今は眼鏡が顔の一部になっているが、若い頃はコンタクトレンズが合わなかったので、眼鏡は格好が悪いと思って家の中でしか掛けていなかった。人の顔を判別するのに50cmくらいまで近寄らないと見えないほどのド近眼なのでずいぶん不便な思いや失敗をした。若い頃と云うのはつまらない処に気を使って無駄な苦労をするものだと婆になると思うのだが若い頃には、そんなことは判らない。
ある日、バスに乗っていると、先の方に見えてきたバス停の脇に黒いゴミ袋が山のように積んである。今日はゴミの日だったのかなぁ、それにしてもバス停の脇にゴミ捨て場を作らなくてもいいだろうに・・・と思いながら見ていた。
やがてバスはバス停に停まった。窓から外を見ると、そこにはゴミの山などひとつもなかった。あったのはバス停のベンチに腰掛けているふたりのばあさんだけであった。
隣はナニをする人ぞ
我が家のはす向かいの家はベランダで仔犬を飼っている。この犬が夜中に突然、キャンキャンといつまでも吠え続けることがある。窓がその家のベランダに面している我が家には、その鳴き声が筒抜けに入って来るのだ。
動物は嫌いな方ではないが、うるさい事この上ない。この犬の鳴き声を聞いて、思い出したことがある。
15年ほど前、O市でマンションに住んでいたことがあった。
大通りからビルの間の細い通路を入ると、マンションの入り口があり、駅に近いわりには静かな場所だったし、部屋もきれいだったので気に入って契約をした。ところが、引越しをしてから初めて気がついたのだが、ベランダに出るとすぐ目の前がお寺の境内だった。ベランダの下は墓地になっており、墓石と卒塔婆がずらっと並んでいる。
不動産屋は以前住んでいた人の飼っていた犬が齧った柱の傷はすべて元通りにしてありますだのと、やけに愛想のいい顔をしていたが、前がお寺だなどとはひと言も云わなかった。下見にきて、気がつかなかった私も私だが、くそ〜!と思っても後の祭である。まあ、ベランダに出て、下を見なければいいのだからと自分に言い聞かせてその事に関しては深く追求しないことにした。
それに、こちらばかり文句を言っては申し訳ないと思い直す。お墓に入っている人たちにしても、まさか自分たちの墓のすぐ脇にマンションが建つとは思ってもいなかっただろう。死人に口なしで、日照権を守ろう!などと訴訟を起こすこともできないのだから、迷惑を蒙っているのは、あちらの方かも知れないのだ。
私のお隣は寿司屋さんが寮として借りているそうで、朝早くから男の人の出入りの音で少々騒がしかったが、私は毎晩、風呂場で大声を上げて歌を歌っていたのでお互いさまだったかも知れない。そんなわけで、私のひとり暮らしは、順調?にすべり出したのである。
ある晩布団に入り、読みかけの本を閉じて寝ようとしていると、どこからか「ワンワンワン・・・」と仔犬の鳴き声が聞こえてきた。私は目を開けて、その声にじっと耳を澄ました。私の頭の上の方から聞こえてくるような気がする。
すると、窓の外にパパッと閃光が光った。私は起きあがりベットの脇の窓を開けた。窓の外は手が届くくらい近くに隣のビルが建っている。そのビルの壁面に光が反射していたのだ。まるでストロボをたいているように、パパッ、パパッと点いては消える。一体、何の光なのだろうと思い、身を乗り出して見上げると、一階上の部屋からその光は出ているようだった。
うちもそうだが隣がビルの壁しかないため、窓にはレースのカーテン程度しか掛かっていないようである。それで、部屋の中でなにかを光らせていたのが、隣のビルの壁に反射していたのだ。それにしても、こんな夜中に何をしているのだろう。犬の撮影会か?
仔犬の鳴き声も上の部屋がパッと光るたびに「キャン、キャン・・・アンアンアンアン・・・」と、けたたましくなってくる。
しかも仔犬はよほど痛い目にあっているのか、絞め殺されそうな声でずっと、鳴きっ放しである。吠えていると云うよりは、鳴いていると云ったほうがいいような声なのだ。大丈夫だろうか、仔犬を助けに行った方がいいのだろうかと、思案している間にも
「ギャン、ギャン、ギャン、アン、アン、ア、アア〜ン、アンアン、アイ〜ン!!」段々と凄まじい様相を呈してきた。
むむむ!?なんじゃこりゃ・・・その時になって私はハッと気がついた。
窓から半身を乗り出して耳を澄ませていた馬鹿らしさに、ようやく気付いた私はバツの悪さに顔が赤らんできた。何と人騒がせな!私は憮然として窓を閉め、布団にもぐり込んだのだった。
その数日後、ベランダに上の部屋の住人のものと思われる毛布が落ちていた。私は落し物を預かっている旨のメモを上の住人のドアに挟んでおいた。一体どんな人が住んでいるのか興味深々だった。
夜になってごめんくださいと、上の住人が毛布を取りに来た。
ドアの外に立っていたのは、40歳前後の真面目そうで、ややクライ感じはするものの、ごく普通のオジサンであった。ふう〜ん、この人か…「すみませんが、あれはホントウのところ仔犬の泣き声だったのですか?それとも・・」と聞きたいのを必死にこらえて、私は落し物をオジサンに返したのであった。
|