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次男・出産秘話

1990年4月7日。9年前の今日、次男・ジロはこの世に生をうけた。
今日はジロの誕生秘話?を書こう。

次男がおなかにいた時は、つわりがひどかったこと、つわりの後にぶくぶく太ったことなど長男の時と同じパターンだった。 ただ、病院は長男の時で懲りたので近所のT産婦人科に替えた。(何が懲りたのか、まだ見てない人は3月23日の日記を読んで欲しい)

T先生は、S先生と違いまったくアバウトな先生で、こちらが
「あの〜、今月ちょっと太り過ぎてしまったんですけどぉ」と恐る恐る言うと
「うん?あ〜大丈夫だよ、それくらい」
先生も看護婦さんもまことにのんびり、にこやかなのである。 こうした環境であるから、私の体重は前回以上に増えて行った。

そろそろ9ヶ月に入ろうかと云う頃になると、自分のせり出した腹のせいで寝ていても息苦しい。10年くらいフンづまりになっているような気分だ。もっとも10年もフンづまりになったことはないが。
そこで長男の時のように『早期出産計画』を実行した。散歩をして、とにかく歩くのだ。マタニティスイミングなどというのが流行りだした頃だったが、あんな腹でプールに浮かんでいたら、どう見ても土左衛門である。それに私は泳げない。

出産前々日には(元)夫の会社の創立記念パーティーにも出席した。その時の写真が残っているが、まるで雪ダルマか満月のような顔をしている。
陣痛らしき腹の張りがきたとたん、これ幸いと病院へ電話をして入院した。入院したのはいいが、陣痛は遠去かってしまった。だが、ここで引き下がりたくはない。何が何でも生ませて頂きたい!
診察をした先生も、この腹なら充分中で育っているだろうと思って下さったのか
「明日の午前中に点滴をして生みましょう」と、おっしゃった。

翌午前11時、分娩室に連れて行かれて点滴が始まる。
点滴が始まると、看護婦兼助産婦さんはちょっと待っていてね、と云ってどこかへ行ってしまった。今回はメガネが落ちないようにチェーンも付けて、万全の体制だ。
点滴が始まって30分ほど経った頃から、お腹の張りと軽い痛みが始まった。よぉ〜し、おいでなすった。陣痛の間隔を時計を見ながら測る余裕もある。
1時間経過・・・痛みが定期的になってきた。しかし、長男の時に比べたら15分間隔できちんと来るので、むしろ心地よい。まだ、まだ。こんなもんじゃ〜なかったと云う思いがある。そうして2時間が経過した。さすがに痛みも強くなってきた。だが、長男の時にはもっと、も〜っと痛かった。この程度の痛みじゃまだ生まれるわけがないと私は思っていた。
分娩室には私ひとりしかいない。助産婦さんは、30分も前に顔を出したきりである。少し不安になってきた頃、やっと助産婦さんが来てくれた。開口一番に私は云った。
「い、いきみたいんですけどぉ〜」
内診をした助産婦さんが何やら慌てて、先生を呼びにいった。
どたどたと足音を立てて先生、看護婦さんが入ってきた。先生は準備が済むと
「じゃ、一度いきみの練習してみようか」とおっしゃったので、ほっとした。

お産のクライマックスは、出口まで来ているウ○コを必死で我慢しているようなもので、そこがただのウ○コと違うところだが「出して良い」と医者から云われるまで、いきむことすら許されないのだ。
先生のお許しが出たので、私は思いっきりいきんだ。いきみながらも今回は余裕があるので、病室の中がよく見える。ふと、顔を上げると看護学生がふたり、部屋の隅に立ち無表情に私の股間を見つめている。勉強のためだ、見るなとは云わない。が、ひと言断って欲しかった。オバサンは驚いたぞ。
結局、練習を含めて4,5回いきんだだけで次男は生まれたのであった。信じられない安産だった。こんなに簡単に生まれていいのか?
後産と処置も終わったので、歩いて病室へ戻ろうとすると、看護婦さんが慌てて私の腕を押さえ
「あなた何してるの。車椅子に乗って!」長男の時は当然のように歩かされて、這うようにして病室へ戻ったのだが。
車椅子で病室へ向かっていると階段を昇ってくる夫と会った。
「もう、生まれちゃったよ」と云うと、私があんまり元気なので、信じられなかったのか
「うそ!!」デカイ声で云った。なんと間の抜けたやつだ。

次男は和やか〜な雰囲気の中で出産ができて良かったと思っている。思っているが、入院してみると部屋は埃だらけ。掃除など、看護学生がお喋りをしながら、ちょちょっと形だけやっておしまいだ。
ベットを仕切るカーテンの表面にまで埃が積もるというのは、一朝一夕でなるもんじゃない。
極めつけは、会社の帰りに新生児室の息子を見に寄った夫が、病室へ来ると憮然として云った。
「夜勤のバアサン、新生児室でぷかぷか煙草を吹かしていたぞ!!」

嗚呼、かげろう行く処 災いあり