うすば蛉蜻日記

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3月15日(水) 女の言い分

引越しの騒動で、忘れていた鬱がまたぞろ顔を出してきてしまい、BBSにもレスを付けられない状態が続いている。(BBSに顔を出さないのは、そんなワケです。)
引っ越して1,2ヶ月もしたらまた出るだろうと思っていたので、いわば予想通りの状態である。仕方ないから、しばらく大人しく過ぎ去るのを待つしかないと思っている。

そんな毎日の中で私の唯一の楽しみは図書館で借りてきた本を読むことである。先日も「199○年現代小説」なる短編集を借りてきて読んでいた。その中の黒岩重吾の小説を読んでいて、むらむらと怒りとも憤りとも云うような感情が頭をもたげて来た。
もう返却してしまったので、題名は覚えていないが、話の内容はと云うと、妻を失って(離婚か死別かは忘れた)数年経つ40代半ばくらいの男がいる。この男には仕事上で付き合いのある(もちろん年下の)女性がいた。ある日、その女に対する自分の気持ちに気がついた。(果たしてそれは愛情なのか?欲望なのか?)
男は深夜、酔った勢いで(思い切って)女に電話を掛ける。いきなり「君が欲しい。今すぐ、欲しい」と単刀直入に云うのだ。電話を切ってから、自分のした事に対して恥を覚え悶々としているが、そこへ女がやってくる。女は「強引なお方・・・」と、その言葉で男への感情を吐露する。
話はお決まりのベッドシーンへと移行する。ところが、逸る気持ちとは裏腹に肝心の自分の分身?が役に立たない事に男は焦る(中年だし、酔っ払っているんだから、そういうコトもあるだろうナ)。みっともないほど狼狽し、頭の中では女へ何と取り繕ったらいいか、と云う思いばかりがチカチカと交差する。
これでは男としての面目が立たぬ。面目はともかく、ムスコよ、立ってくれ〜とばかりに焦る。が、焦ってもどうにもなるものでもない。男はそれまでの強引さは何処へやら、がっくりと意気消沈してやがて寝てしまう(よく眠れるもんだが)。
翌朝、男が目覚めると、「良く寝ているようなので先に帰ります」という置手紙を残して女は消えている。それを読んで、自分に恥をかかせないように配慮してくれたのだろう、と女への好意を益々深めるのだ(自分勝手に)。
男はその日、仕事でどうしても女と会わなくてはならないため、女は夕べの自分のだらしなさ(と男は思う)をどう思っているだろうか、蔑まれるのではないだろうか、とそんな事ばかりを気にしながら待ち合わせの喫茶店へ出掛ける。はたして女はというと、普段と変わりない微笑で男を迎えて、ふたりは仕事の話を進める。
店を二人揃って出た時、男の口をついて出た言葉は「人生最大の不覚」というものだった。それに対して女は男の腕にそっと手を絡めて(あくまで、しとやかに。そして男の心中を察して)、何事もなかったかのように振舞う。そんな女に男はまた、愛情を感じる・・・メデタシ、メデタシ。
と、まぁ、こんなような話である。これを読んで、男性諸氏(特に中年の)は「いい女だなぁ〜、その彼女は」と思ったか、はたまた「そういう経験は自分にもあるが、この男の気持ちは判るなぁ」と思ったか。
だが、これを読んだ殆どの女性は「ばっかみたい」または、「なんじゃ、それ」と思ったのではないだろうか。少なくとも私はそう思った。
私は黒岩重吾の歴史小説などが大好きなのだがこの小説を読んで、いささか鼻白んでしまった。黒岩重吾、お前もか・・・と云う心境である。
男と云うのは、床の中で女を満足させる事が男として最大の使命だと思っているのだろうか。そして、それが失敗に終ったというだけで(たった一度でも!)「人生最大の不覚」と大げさに考えるなど、女にしてみれば、アホちゃうかァと思うのだ。
男の沽券に関わる由々しきモンダイだと思うのかも知れないが、そんなモンは股間のみに関わるモンダイである。身体の具合によっては、そんな事もあるだろう。ただそれだけの事である。そんな、一個の人間としては小さな事でしかない話を小説にまでするということは、世の中の大多数の男性にとっては大きな問題であると思わざるを得ないのだが。
たとえ、些細な日常の話が充分小説として書くだけの価値があるとしても(純文学の範疇だとしても)、これが199○年の現代小説の代表として、取り上げられるような価値を持つ小説だとは私にはとても思えない。もっと云うなら「こんなのが選ばれるなんて、いやんなっちゃうなぁ」であり、「よっぽど不作な年だったのかなぁ」である。せめて、もうひと捻り欲しいところである。
前にも似たような事があった。渡辺淳一の小説を読んでから、この作家に興味を持ちエッセイを読んだ。すると、エッセイの中にはまるで明治時代か昭和初期の道徳教育にあるような、男に従い、男を立てていくような心を持つ事こそが女としての行き方である、みたいな内容の話が書かれており、それ以来私は渡辺淳一の本を読まなくなった。
男に都合のいい女の虚像を作り上げてきたのは、男である。その男の意に反した女を「悪女」だとか「淫婦」だなどと貶めてきたのも男である。股間のイチモツが云うことを聞かないからと云って、この世の終わりのように嘆く輩を女は先から尊敬などしていないのが、判らないのだろうか。
今日は、ちょっと辛口になってしまったが(反論もあるだろうが)、男性諸氏には女が精力ゼツリンの男に組み敷かれて喜ぶだけの生き物ではない事と、一般的に云われている、男にとって都合のいい女性像と本来の女とは、大きな隔たりがある事を肝に銘じて頂きたいと思っての苦言である。
そんな事を判らない男性は現代では稀だとは思うが、とすると、"大"黒岩重吾と云えども、頭のほうは黴が生えていると云うことか。だとすると、これまた残念な話ではある。


3月12日(日) タロの恥じらい

卒業式をあと1週間後に控えた昨日のこと、タロをつれて床屋へ行った。
新聞にカットのみ999円という広告が入っていた床屋だ。今までタロもジロもずっと私が散髪をしていた。けれど、卒業式もあることだし、やはり本職に格好良くしてもらったほうが良いだろうと思ったのだ。
ジロの方は私がカットしても床屋さんへ行ったの?と人に聞かれるほどうまくいくというのに、どういう訳かタロの頭は何度やっても格好良くいかない。頭の形がモンダイなのだろうか。
昨日は中学の制服も出来上がる予定だったので、まず制服を取りに行き、それからファッションビルの中にある床屋へ向かった。電話で予約をしたのだが、行ってみると先客は誰もいなかった。タロがカットをしてもらっている間、私は店の外にある待合所で(待合所の両脇に床屋と美容院がある)雑誌を見ながら待っていた。
しばらく髪を切っていなかったタロは、後の方など肩にかかるほど伸びていて、頭がデカイのか、髪が多いのか、やたらと顔が大きく見えていたのだが、散髪を終えてでてきたタロを見てびっくりした。
それまで丸顔に見えたのが、どちらかと云うと細面の美男子になっているではないか。(おいおい、自分の子だろ〜)
う〜む、これはジャニーズに入れたらどうだろうか…と、親ばか振りを顧みないで思うのであった。
それはそうと、広告には999円とあったのに、会計をすると1990円だと云う。はてな?と思ったが、そう云えばタロの髪型を頼んだ時に「顔剃りはしますか?」と聞かれて、ついでだからと頼んだのだが、その分が入っているらしかった。あぁ、なんという不覚を取ったものか!と内心歯軋りをする思いで1990円也を支払ったのであった。

ところで、最近のタロは私と一緒にお風呂に入ろうとしない。つい最近まで自分から私の後に浴室へ入ってきたのが、着替えをする時でさえ、戸を閉めたりするようになった。
さては、下の方の毛でも生えてきたか?と内心思うのであるが、本人に聞くとたぶん怒り出すだろうから聞けない。そんなタロが今日、私とジロが風呂へ入っている処へ自分も入ってきた。追い炊きできない風呂なので、なるべく一緒に入ろうと声を掛けたのに、じゃ入るよ、と答えて入ってきたのだ。
もう、声を掛けても来ないだろうと思っていたので、あっさりと入ってきたタロに却って驚いてしまった。それでは、やっと羞恥心に目覚めたのかと思ったのは、私の考えすぎだったのか。
ところで、タロの下の毛だが、残念ながら?風呂に入る時にはメガネを外してしまうので確認できなかった。


3月7日(火) 卒業を祝う会

先週の土曜日にタロたちが通う小学校で6年生の卒業を祝う会が催された。
それに先立って、会の中で保護者が披露する歌の練習が何度かあったのだが、仕事を持つ私は一度も出席することなく当日を迎えた。どんなことをするのかもまるで判らないまま会場である体育館へ行った。
転校してまだひと月ほどなので、私は体育館へも入ったことがなかった。他の父兄の後について体育館へ行き受付を済ませる。広くてきれいな体育館である。なんと天井は一部がガラス張りになっていて晴れた日ならば日差しを充分に取り入れる事ができるような造りになっている。
風邪気味だった私はスラックスを履いて背中にはホカロンを貼り付けて行ったのが体育館の中は両脇にストーブがあるもののやはり寒かった。
手渡されたプログラムを見ると、第107回卒業生となっている。創立107年という事になるのか。
式が始まり、校長や来賓の挨拶にも歴史のある学校であることへの誇りを語っているものが多かった。また先生方の挨拶には6年間の思い出話が殆どである。当然のことながら、私にはピンと来ない。向かいに座っているタロにとっても同じことだったろう。
今ごろ、タロが通っていた川越の学校でも同じような会をやっているかも知れないと思うと、タロが不憫になり私の胸は痛む。タロは隣の級友と打ち解けて話をしているが、川越の学校であったなら、もっと楽しかっただろうと思う。やはり、6年生の3学期に引っ越したのは無謀だったのかも知れない。
そんなことを考えて複雑な思いでいた私だったが、いよいよ保護者の歌の出番が近づいてきた。
会が始まる前に、20分ほど歌の練習があったので何とか他の人について行かれそうである。歌はユーミンの『春よ、来い』とキンキキッズの『フラワー』である。今はこういう歌を歌うのだなーと時代を感じたが、どちらも好きな歌なのでここは一発タロのためにも張り切って歌ってやろうと思った。(私が張り切ってどうするって)
『春よ、来い』を舞台の前で歌い終わると、今度は体育館の中で弧を描くように広がり『フラワー』が始まる。こっちは踊り付きである。と言っても、ステップを踏んで左右に揺れているだけなのだが、私もそうだろうが他の人の姿を見ていると、笑えるくらいみんなクソ真面目な顔をして踊っている。日本人てどうしてこう無表情なんだろうか、などと考えながら歌った。
出席した保護者は殆どが母親だったが、中にはちらほらと父親も混ざっている。私の隣にいた父親はやはり歌の練習など出ていなかったらしく、歌を歌うことさえ当日になって初めて知った様子で、歌詞カードを渡されると暫しじっと見ていたが私に向かってこう云った。
「・・・これって歌ですか」ユーミンの歌を知らなかったらしい。私も「はぁ、歌のようです」と変な受け答えをしてしまった。
フラワーが踊り付きだと知ると、頭を抱えていたがそれでも本番ではぎこちなく左右にウロウロと動いていた。お父さんも大変である。
プログラムには、他に児童たちの演奏と歌や先生方のお祝いの演奏などと云うのもあり、子供たちの出し物は練習の成果が現れていたようである。楽器も様々なものを使っており、自分の子供の頃を思うと最近は凝ったことをするものだと思った。鉄琴木琴程度は昔もあったが、今はキーボードを使ったりする。様々な楽器の音をキーボードで出せるので、子供たちが演奏できる曲目の幅も広がったのだろう。
面白かったのは、先生方の出し物だった。歌と伴奏をすべて先生方でやったのだが楽器はドラム、ピアノ、アコースティックギター、トランペットなどかなり本格的。音の方はともかくとして、活き活きとやっている先生たちのお顔が印象的だった。きっといい学校だったのだろうと思う。
3時間以上かかって会は無事終了した。今回は私もタロも、やや場違いな気持ちがしたのは否めないが、会自体は和やかないい会だったと思う。ジロの時が楽しみだ。


3月1日(水) タロの誕生日

12年前の今日、午後1時28分、3318グラムでタロは生まれた。
前日から陣痛が始まった私は、その夜から入院していた。朝8時の診察時に医者から破水させられて(出産を早めるために人為的にされたようだ)から、それから生まれるまでの5時間半を陣痛の痛みと戦った。真夜中から痛みはあったが、破水後はその比ではないほど痛みが強くなっていた。
私は陣痛微弱と云われて、色々と薬を注射されたり、飲まされた。その中には使いすぎると危険だと云われている陣痛促進剤も含まれていたらしいが、初産の私は云われるままに薬を飲むしかなく、薬の妥当性を考えている余裕もなかった。
病室の窓から見える桜の木にまだ硬い蕾がついており、その薄い桃色が早春の曇天のもとベールを広げたように窓の外を覆っていた。
春も近いと云うのに、薄ら寒い日であった。
タロが生まれた時、一番最初に思ったことは「やっと痛みから解放された」であり、その嬉しさに涙が溢れた。医者たちは初産の感動だと思ったかも知れないが、タロを生み落とすまではただひたすら痛みとの戦いであった。
もう、いい加減で出てきてくれ〜!!と云うのが、その時の私の正直な気持ちであった。薬のせいか、痛みは間断なく続いていたため、私の体力も限界に近かったのだ。
立会い出産を選んだため(と云うより、その病院では半強制的にさせられる)私の後ろで一緒になってヒッヒッフーと上ずった声を出している夫が煩わしくて、「あー、ウルサイ!」と喚きたい気分であった。
そうして何とかタロを産むことが出来たのであるが、生まれてすぐにタロは分娩室の隅へ連れて行かれてしまい、先生が長いビニールの管をタロの口へ入れて、ズーズーと音を立てて何かを吸い出している。一体、何事かと思ったら、タロは生まれた時に羊水を大量に飲み込んでいたらしい。その処置だったのである。
やっとタロがバスタオルか何かに包まれて私のもとへ来た。その時はもちろん名前は決まっていなかったので、私たち夫婦は桃の季節に生まれる子だと云うことで「モモちゃん」とお腹の子に呼び掛けていたのであるが、それには女の子を望む気持ちが多分に含まれていたのかも知れない。
助産婦さんからタロを抱かせてもらって、じっくりタロの顔を見た私は、なんてブサイクな子なんだろ〜と、まず思った。赤ちゃんと云うくらいだから顔が赤いのは判るが、しっかり閉じている目の周りは薄黄色で、全体的には赤むくれのような感じである。
あんなに苦労して産んだのに・・・誰にも似てないぞ〜と落胆したのは、我が姿を顧みない図々しい母であった。出産がなかなか進まず、その間産道で詰まっていたのだから、タロもさぞかし苦しい思いをしただろう。そのために顔がむくんでしまっただけだったのだと後から思い反省した。タロ、すまん。
この病院では2000グラム台の前半で産むのが普通になっていたため(管理される)3000グラムを越して生まれたタロは医者からも看護婦からも、大きい、大きいと云われた。流行っている病院だったのでお産は毎日何人もあり、病室も不足なら、新生児室のベッドも不足しており、大きくて丈夫そうに見えたタロは新生児室のベットに寝かせてもらえず、赤ん坊を着替えさせたりする時の作業台の上にバスタオルで包まれて転がされていた。
母子同室になるまでの3日間ほど、そうやって放っておかれており、私は我が子の不運?に嘆いたのであった。

タロは我が家の長男に生まれたわけだが、最初の子と云うものはいつまで経っても、何をするにしても「初めて」が付きまとうものだ。親も子育ては初めてなので、おっかなびっくりである。
初めて育児をする親に育てられた子供と云うのは、長男・長女としての宿命がついて廻るものなのかも知れない。
よその長男はどうか判らないが、タロはかなり慎重な性格だ。おっちょこちょいな私の暴走を歯止めする?役割を担った存在になっている。そして、いかなる時も冷静さを失わない冷めたところがある。
私が小さい頃はいたずらをすると「そんな事をするとオバケが来るよ〜」などと意味もなく脅かされて、数日は夜トイレにも行かれないほどビビりまくっていたものだが、タロにその手は通用しなかった。今もテレビで心霊現象を扱った番組などをジロと私がキャーキャー云って見ている脇で、ナンダよ、詰まらないことで騒ぐなよ、ってな顔をしている。

思えばタロのお陰で親になれたような私である。
生まれて間もない頃からアトピー、喘息、アレルギー性結膜炎と三重苦?を背負ってしまい、看病に明け暮れた数年間があった。病気知らずの次男とつい比べてしまい、こんな身体に産んでしまった事を済まなく思って悩んだ日々もあった。
入院生活を何度も経験しているタロは、親ばかかも知れないが人の痛みが判る人間になってくれたようである。タロが小学校2年生くらいの頃だった。同級生で身体が大きく、ガキ大将だった子が虫垂炎で入院したことがあった。タロが1年の時には、その子にずいぶん泣かされて帰ってきたものである。
タロがその子のお見舞いに行きたいと云うので、私はダメだと云った。虫垂炎ならばじき退院できるだろうし、子供が行って騒いでも迷惑である。退院したら、また遊べばいいじゃないか、と云うとタロはオイオイ泣き出したのである。
慌ててどうしたのかと聞くと
「だって、S君が可哀想なんだもん」と云って泣きじゃくるのである。
タロは自分が入院していた時のことを思い出したのかも知れないとその時私は思った。それからS君とタロは以前よりも仲良く遊ぶようになった。
タロがよく入院していた幼稚園の頃は私にとっても大きなストレスになったが、病状が良くなってくるとタロとふたりで過ごせる時間が楽しくもあったのは正直なところであった。
点滴の管が外れないように気を使いながらタロのベッドに一緒に寝るので、睡眠は細切れになり寝た気がしないのだが、私に出来ることと云えばその程度のことしかないのである。親にとって子供の病気は辛いものである。
友達でやはりふたりの男の子を持つ人と話をすると、最初の子は『特別』だよね、と云う意見で一致する。母親とは異性である点が女の子を持つ母親とはまた、考え方にも違いがあるのかも知れない。
下の子が可愛くないわけでは決してないし、下には下の可愛さがあるのだが、長男への母の思いと云うのは別モノなのである。・・・こんなことを云うと、タロが将来マザコンになるのでは?と心配されそうで居心地が悪いが、息子が成長するにつれてウチのように父親のいない家庭では殊に長男の存在は大きくなる。

今朝、私は寝坊をしてしまった。タロは時間通りに起きている。
やがてジロも起きだして、隣の部屋で着替えを済ませ、朝食のパンを食べ始めたようである。
私は布団の中で、もぞもぞしながらふたりの気配に耳を澄ませていた。
「ジロくん、スープ飲むか?」
「うん、飲む。・・・なんだ、お兄ちゃんは飲まないの?」
やかんがピーピー喧しい音を立ててお湯が沸いたことを知らせていた。
タロは弟にインスタントのカップスープを作ってやっていたらしい。
息子ふたりの穏やかな会話を布団の中で聞いていた私は、朝から幸福感に包まれた。
布団でぬくぬくしている私を起こそうともしないのは、今日は私の仕事が休みなのを知っているからなのである。
優しい息子たちよ喜べ、今日は伯母ちゃんのおごりで寿司だぞ〜。

タロ、君が生まれて12年も経ったのだねぇ。
私の息子に生まれてきてくれて、ありがとう。こんな母をこれからもよろしく頼みます。
誕生日のお祝いに、お母さんからチューを・・・えっ!?いらないって?
そんなことを云わずにさぁ、ほらぁ〜チューさせてぇ〜〜